2011年2月26日土曜日

愛娘の花凛、尼になる!?

2歳7ヶ月になったわが子を、この冬の一大決心で!

出家させることに~~~~!?!?!?


…と言う訳ではありませんが(笑)

確かに一大決心で!

丸坊主にしました!




尼さんじゃなくて軍隊に入る?

マルコメみそのCMに使ってもらえないでしょうか!?


ちびっこギャングの役にも使ってもらえるでしょうか。

可愛いカシミールの民族衣装を着ても坊主は坊主・・・。

ストックゴンパにて親戚のラマ僧、メメ・ウルギャンと一緒に。
このスナップ、まさに出家させに来たかの様ですね。

従兄弟の坊主仲間大集合!


かつての日本もそうだったのではないででしょうか…。ここラダックの風習では、もっとたくさん髪が生えてくるように~と、小さいうちに女の子でも容赦なく坊主にします。

以前から、義理の妹の子やらが皆、そろって坊主にしており、ああ、うちの子は絶対にさせないと心に決めておりました。

が、しかし! この度、ワンボが「坊主にしちゃう?」と言った時、私の中で何故かそれほど拒絶反応が起きず、あげく、花凛に「坊主にする?」と聞いてみると「する~!」と言うのです。

巡礼の最中、ワンボがカトマンドゥにて床屋さんで坊主にするのを、一緒に行って見たことがありました。バリカンで刈り上げられていく過程をずっと見ながら花凛は興奮していました。これが花凛の興味をそそってしまったのかも知れません。

ただでさえ私に似て髪の薄い花凛。まして、ラダックでは寒すぎて毎日お風呂に入ることもできず、数週間に一度髪を洗ったり、一ヶ月に何度?沐浴できるかどうかです。

またこんなこともありました。

初冬の頃、いつの間にか頭部天辺にフケというか、アカというかを発見!きっと真夏の強い日差しで焼けてしまった頭皮にむけかかった皮膚が付着してしまったというか、残ってしまったというか、そんな痕をみつけてしまい、愕然としたのでした。いくら花凛の髪が薄かったとは言え、だいぶ生えてきていましたので、それに気がつくこともできなかったのです。母としては焦りました。そんな経験もあって、坊主の利点も理解できるようになっていました。


今や、花凛のあだ名は尼の意である「チョモ・レー」
ヒンディー語で坊主の意である「ガンジャ」

などなど、花凛に言っても本人は喜んでわらっているという状態です。
自分で頭を触って喜んだり、人に帽子をとって見せたりしています。とにかく本人はぜんぜん嫌ではないのです。むしろ、お気に入りでございま~す。


あ、ちなみに、ラダックの風習で坊主にすると一口に言いましたが、ザンスカール地方では逆に3歳までは何があっても髪を切るなと言われているそうです。いやはや、いろいろですね~。

2011年2月23日水曜日

ラダックにも春の気配!

ここのところ、すっかり巡礼のレポートばかりだったのですが、最新のラダックの様子をお伝えしたく、一時中断しちゃいます。

最近、そうですねぇ、2月半ばくらいからは天気さえよければ日差しも暖かく、ああ、少し寒さが和らいできたなあと思っていました。それでも、急に天気がさえなく、雲行きが怪しいなと思っていたら、またも雪がぱらついたりもしていました。

日本ならば、すでに梅の花が咲いたりして、まだこんなにも寒いのに、頑張って花など咲かせている木々の姿に、春の兆しを感じたり、何か希望が持てたりというか、そんな気持ちにさせられるものでした。そんな日本の春の兆しを思いだして、ちょっとうらやましさを覚えていました。

しか~し!

自然というのは本当に逞しいもので、こんな雪解け半ばのラダックの中で、なんと、柳の木のつぼみが出ていたのです!

私はすっかり感動してしまいました。3500mもの標高で、厳しい寒さもまだ残るこんな日々にも、木々は頑張って芽を出しているのです。素晴らしい、なんて素晴らしいのだろう。

私も頑張るぞ!
寒さに、いや、何もないこの冬のラダックに負けないぞ~!

「何もない」・・・、ちょっと誤解を招かぬよう説明せねばならないでしょう。


冬のラダックは、バザールに新鮮野菜が消えてしまうのです。ですので、自分たちが夏に収穫したジャガイモとニンジンくらいしか手元になくなります。また、夏に収穫した菜物を乾燥させたものをゆでて食べているくらいです。

もしくは、ストックでは無理ですが、場所によってはビニールハウスで野菜を育てられるので、キャベツや多少の菜物も、ラダックのお母さんたちがバザールに売りに来ます。それを買うことは可能です。でも、それほどのバラエティーもありません。

そんな毎日の食生活にに、ちょっと疲れを感じています。
特に巡礼でインドやネパールの新鮮野菜を中途半端に味わってきた私は、ラダックに戻ってからあの市場にならぶ野菜が、夢にまで出てくる勢いなのです。


一応、ラダックの側に立ちちゃんとフォローすれば、肉はあります!

特に冬のためにヤクやゾなどをさばいて乾燥させていますので、真冬にはビーフジャーキー状態になって、おいしいのです。
でも、やはり私は日本人。肉ばかり食べているとなにかイライラしてくるというか、食物繊維不足に身体と心が悲鳴をあげるのです。なので、いくら肉がご馳走だとしても、大してうれしくないのが本音なのです・・・。


だから、そんな冬のラダックで、柳のつぼみが私にもう少しだけ頑張りなさい、春はもうそこまで来ているよ。と言ってくれているようで、とても励まされたのでした。


たくましい柳のつぼみ。つぼみって愛らしいですね。


つぼみをつけていた柳の樹はこんな感じの樹です。
近くに流れる川は半分とけてきていました!すごい。
でもまだほとんどの場所の川は、表面が分厚く凍ってます。
でも下のほうでは水が流れているんですよね。

天気のよい日の散歩がたのしそうなかりん

う~ん、頑張るぞ!

2011年2月20日日曜日

スノウリ ネパール国境

 クシナガルからルンビニを目指すには、まず50kmほど先の国境の街、スノウリに行く。クシナガルの宿で車を出してもらえることになったが、なんとこれが救急車。インドの救急車は日本ほどファシリティーがないからベッドになるシートと付添い人用のシートがある程度のバンだ。少々乗り心地が悪く酔ってしまったので、かりんと一緒に半分は寝て過ごしたが、車をチャーターするより安く上がった。でも、登録は救急車なので、人を乗せて国境を渡ることはできないから、国境手前で降りることになり、国境までの少しの距離を重い荷物と共にサイクル・リクシャに乗った。


 インドからお隣のネパールへ入るということは国境を越えるということだ。小さな町を貫く一本の道にきなゲートがあり、国境のすぐ手前のインド側に、見落としそうな小さなイミグレーションオフィスがあった。私はネパールに入るためのビザを作ることばかり頭にあったから、用意していた証明写真も出したら、それはいらないと言う。あれ?そうなの?と思っていると、私のビザが配偶者ビザだったりするからいろいろと聞かれて、最後にはインドでの「外国人居住登録証」はあるかと聞かれた。待ってました!とばかりに、証明書のコピーを提示した。せっかく登録しているから常に持ち歩いているのに、ほとんど使うことなどないのでちょっとうれしかった。

 10分はかからなかっただろうか。パスポートにインドを出国したというスタンプが押された。そうか、ここは出国の手続きだけなんだと腑に落ちた。待たせていた義父と友人のラマのクンザンさん、ワンボとかりんが心配そうにリクシャに座りながら見守っていてくれた。OKだけど、まだ手続きは半分しかできていないと言うと残念そうな表情を浮かべた。申し訳ない、お荷物な外国人で・・・。というのも、インド人はネパールやブータンやらに入るのにビザは不要なのだ。なんてうらやましい。

 国境越えはこうしてスムーズにいくと思われたが、覆面ポリスみたいのがいっぱいいて、荷物の中を見せろと言われる。巡礼で自炊のため荷物は大きい。いちいち荷を開けては見せなければならない。また少し行くと、制服のポリスやら軍隊が見せろと言う。ああ、めんどくさい。何も怪しいものなどないし、一度見たらそれでいいではないか。

 だんだん分かってきたのは、お金ほしさに無駄なチェックをしているようなのだ。見ないでもいいからいくら出せとかそういう話になってくる。何ともバカらしいからしっかり見せて終わりにするが、何人もそういう人がいていちいち止められた。

 国境のゲートをこうしてめんどくさくくぐった。

 ネパール側も小さなイミグレーションオフィスだったが、インドよりは分かりやすい建物だった。ああ、ここからはネパールかと嬉しくなった。USドルでしかビザのお金を払えないなんてガイドブックにあったり、みんなが言ったりしていたが、インドルピーでも支払いも可能だった。でもちょっと高いレートだ。ビザはミニマム15日でUS$25。申請書に記入してパスポートサイズの写真とお金を支払って手続き完了。

 戻ると、またも荷物チェックをさせられている様子。ああ、何度やれば気が済むのだ。ようやく終わって、タクシーを選ぶ。なんだか、ネパールらしいような、インドそのもののような。でも人々の顔つき、つまり人種が変わってきた。ちょっと細い目のモンゴロイド系の顔が増えた。ヒンディー語も話すけどちょっとネイティブっぽくない感じも。でもインド人の様なアーリア系の顔もいるし、ヒンドゥー教っぽさもある。このミックスな感じに、ネパールに入ってきた実感が湧いた。

 さて、タクシーとの値段交渉も終わり、いよいよルンビニを目指す。


国境の写真は取れませんがここがその国境のすぐ手前。
イミグレーションオフィスはこの左手側にあり、
軒並み並ぶ商店の一つがオフィースという状態。
撮影者の背中にネパールがある感じ。

クシナガル 仏陀入滅の地

  晩年の仏陀は自らの身体の衰えを感じ、生まれ故郷を目指したという。しかしその旅路の途中、ここクシナガルの地で入滅した。この仏陀入滅の地には、記念のニルヴァーナ・ストゥーパが建てられていて、マハーパリニルヴァーナ・テンプル(大涅槃寺)には、横たわる仏陀の涅槃像がある。


 自らも病に倒れ、死んでいくということをもって、全てのものはうつろい行くもの、とどまるものなどない、諸行無常と教えたのだろうか。
 ちなみに、仏陀がここで病に倒れたのは食中毒が原因だという説もある。だからとは言わないが・・・!、実は私もワンボもかりんも、クシナガルでお腹を壊してしまったのでした。

 早朝は5m先も見えないほどの霧と、毛布もシーツも湿って乾かないほどの湿気。そして冷えこみが襲うからか。いや、宿で用意してもらった食事が妙に辛かったからだろうか。どちらにしろ、ひどい下痢に襲われたとき、仏陀もこうして苦しんだのだろうか・・・、なんて想いが過ぎってしまった。偉大な人物と自分を重ねるのはどうかと思うが、何かクシナガルの因縁?のようにも思えてきてしまったのは気のせいか??

 それにしても、早朝は濃い霧に覆われていたが、正午には暖かい日差しが指してきて、ウソのように暖かくなった。お腹も回復してきて一安心。

宿から近道をして村の畑や民家の中を行った。左側は麦で右側はグリーンピース。
先にはサトウキビの畑があった。どれも最近芽が出た様子。
この地域は11月ころ実った米の刈り取りをした後に麦などを植えるという。
年間を通して収穫があるのはウラヤマシイ!

仏陀涅槃像。何かの素材の上に金箔が貼られているのだろうか。
像は黄金に輝いていて神々しさが更に際立っていた。
それぞれ思い思いにぐるぐるスコラした。

静かで穏やかなお顔。慈悲深さがにじみ出ている感じがした。

かりんと一緒に手を合わせて。

ダライラマ法王が贈呈したという鐘には外側、内側ともに
チベット語やサンスクリット語で経文が書かれていた。

右はラマ僧のクンザンさん。サルナートから一緒にネパールにいくことに。
メンバーが増えて楽しくなりました。
遺跡公園内を歩きながクンザンさんがかりんに葉っぱをかぶせて遊んでいた。
かりんも喜んで声を出して笑ってます。

仏陀が荼毘に付された場所に作られたストゥーパをバックに。

2011年2月15日火曜日

バナーラス(ヴァラナシー)

日常の中にある「死」

せっかくバナーラスまできたのだからと、仏教聖地とは違うけど数年ぶりにガンジス河まで足を延ばす。ここで見るべきはやはり、ガンジス河のほとりにある火葬場のガートで有名な、マニカルニカー・ガート。毎日たくさんの死体が焼かれているのである。

日本のように建物の中で焼くのではなく、河のほとりで薪を積み重ね今にも見えそうな状態で焼かれる。ある程度焼かれると焦げた足や頭などが形をはっきりとしてくる。これらの光景を見ながら、自分も必ずいつか死に、そして焼かれたりするのだと思い想像して見るのだが、その想像もできているのかいないのか、明らかにならない。人間は太陽と死は直視できない、とどこかの哲学者が言っていたのを思い出す。

チベット仏教でも言われるのは、日常唱えたりするマントラと一緒に、たとえば一日に3回くらい「自分もいつかは必ず死ぬのだ」と唱えろという。でも、実際に生きている自分に対して、いつかは死ぬのだと分からせるのは、思うほど簡単なことではない気がする。それは、このように焼かれる死体を見てもそうなのだと思った。

生まれたこと自体が苦悩のはじまりと説く仏教。ここで、その四つの苦である生老病死のうち「死」を目の当たりにした。ここの光景のように、死が日常の中にあることはいいことだと思う。死がぼやけると、生もぼやけてくる。
写真家であり作家でもある藤原新也も言っていた。

「死は生のアリバイである」  

                      写真集「メメント・モリ」より



ここがマニカルニカ・ガート。
燃やしては河に流す。貧しいと薪がたくさん買えずに半焼きで流されるという。
ワンボはここからなかなか離れられなかった。
かりんは、何のことだか分からなかったはずだが、
ずっと見ていたら、熱い・・・と言って離れたがった。

ガンジス河のほとり。たくさんのガートがある。沐浴をする人も。

ボートで河を味わう。乾季の今は対岸にも渡れるが雨季は水没する。

かりんは、ボートにご機嫌。水をさわってみたりした。

ボート漕ぎのおじさんと一緒に。

1時間、ゆったりとボートを味わった。
何か、死と隣り合わせのこのガンジス河は、懐が深い気がした。


初めてココナッツのジュースを飲むかりん。お腹にいいんですよ。


サルナート 初転法輪の地

仏陀はブッダガヤーの地で悟りを開いた後に、多くの宗教者が集まっていたバナーラスを目指したという。そして郊外のサルナートの地にたどり着いたとき、仏陀が悟りを開く前に共に修行をしていた5人の修行者に会い、自分の悟った真理を初めて語ったという。

ヒンドゥーの聖地でありガンジス河で有名なバナーラスから10kmほど離れたところに、そのサルナートがあります。今回は、この地でダライラマ法王の説法が開かれました。この説法の様子はまたにして、まずはサルナートの様子をお伝えします。



初めての説法をした場所に5,6世紀頃建てられたダメーク・ストゥーパ。
ここに何度も来てはぐるぐるぐるぐる回った。スコラと言って時計回りに歩く。
朝晩はスコラする人でいっぱいになる。

僧院のあった遺跡。多くの修行者が修行していたという。

1902年、遺跡発掘の様子の写真が中国寺に飾られていた。

1958年のストゥーパの様子だという。まだ修復中だったようだ。

ムールガンタ・クティ寺院

寺院内には日本人画家、野生司香雪(のうすこうせつ)さんが
描いた仏陀の生涯を描いた壁画がある。
戦前のものだそう。すばらしかった!

世界中の巡礼者が壁画をながめて、仏陀の生涯に思いをはせる。

真新しいものだけど、仏陀と5人の弟子の像があり、
説法をしている様子が目で感じられる。

チョーカンディー・ストゥーパ。
仏陀が5人の修行者に会ったところに建てられたもの。
ダメーク・ストゥーパより少し離れた場所にあるが歩いてもいける。
一番上まで登ると、サルナート全体が見渡せた。

2011年2月13日日曜日

巡礼の道順

素晴らしい巡礼となりましたが、結果的には、全てが望みどおりとは言えず、予定していた場所に必ずしも行けたわけではなかったというのが正直なところです・・・。特に仏教八大聖地のうち、シュラヴァスティーやヴァイシャリーには行けなかったのが残念。
また、一ヶ月の旅程ではとっても無理だったのですが、ネパールより陸路でインドのダージリンやシッキム州に抜けるというルートも省かざるをえませんでした。これはダージリンの政情が悪く、ちょうどストライキを繰り返しているという治安の悪さも考慮してのことでした。
実際、帰りの飛行機の延長も試みましたが、値段が跳ね上がる時期なので、今回はあきらめることに。コンプリートするより、また次回のお楽しみになりました。
以下が今回のルートです。

(インド)
 ラダック        by エアー
○デリー         by 寝台鉄道
○ヴァラナシー     by タクシー
○サールナート     by 寝台鉄道
 △ゴラクプル経由   by 乗り合いタクシー
○クシーナガル     by 宿にした仏教教会の所有する救急車のバン
 
 (ネパール)
 △スノウリ(ネパール国境)経由    by タクシー 
○ルンビニ       by 長距離バス
○カトマンドゥ  
(ボダナート、バクタプル、タメル、ファルピン、
 ドゥリケル経由でナモーブッタ、パタン、スワヤンブナート) 
            by 貸切タクシーや路線バス等
 △ラクソウル(ネパール国境)経由   by 長距離バス

(インド)
○ブッダ・ガヤー  
(ラージギル、ナーランダー) by 貸切タクシー
○デリー         by 寝台鉄道
○ダラムサラ      by 長距離バス
○ジャンムー      by 長距離バス
 ラダック        by エアー

ゴンパにてマネ車を一生懸命まわす花凛。
子どもは教えなくても見よう見真似でおぼえていくのですねぇ。


2011年2月12日土曜日

巡礼を終えてラダックに戻りました!

ジュレー!ご無沙汰しております。
一ヶ月の巡礼中、まったくブログの更新をせずに失礼いたしました!

予想以上に巡礼に特化して、可能な限りの時間をお祈り、お参りに割いておりました。また、せわしく移動しながらでもありましたので、ネットカフェにはなかなか足を運べず・・・。(迷ったのですが、巡礼ということでノートパソコンは持って行きませんでした)

ブログを覗いてくださっていた方、がっかりさせてばかりでスミマセンでした。

そして、途中でメールを頂いたにもかかわらず、お返事もしていない友人の皆様方、ごめんなさ~い・・・。ようやくもとの生活に戻ったので、もう少々お待ちくださいませ~。



さて、今回の巡礼の旅を終えてみて、出発前はどれだけ自分が仏教的なその深みに入れるものか、少々疑いがあったのですが、時間がたつにつれて、チベット仏教的なそのあらゆるお祈りの仕方も、不思議なくらい自分に馴染んでもきましたし、どんどんと仏教世界に惹きこまれていったのでした。

その詳しい内容は、明日から徐々に紹介していきたいと思いますので、楽しみにしていてくださいね。
なぜ明日からか?というと、冬の現在、ラダックでは電気が夕方6時から11時までしか来ないので、ブログ作業に取り組む時間が限られているのです。どうか、そのようなラダック時間でお付き合いくださいませ。



それと、話は変わりますが、

ブログ設定の手違いで!?、この一ヶ月ほど閲覧者の方のからのコメントが入れられない設定になっていました。大変失礼いたしました。

友人からコメントが入れられなかったと指摘してもらって、まさかと思って見てみたのですが、私の勘違いで設定変更してしまったようです。今後コメントを入れられると思いますので、どうぞお試しくださいませ。というより、ぜひぜひ多くの方のコメントをお待ちしております!

義父を囲んで。仏陀入滅の地、クシナガルの涅槃像の前で合掌。

帰りはジャンムーよりラダックに向かって飛行機で。

徐々に山が雪をかぶってきました。

飛行機に乗れてご機嫌のかりん。

義父ドアップ!写真撮影のため、窓側席を譲ってくれました。


ラダック上空。我らがストック村は相変わらず美しかった!