2011年12月30日金曜日

年末年始のお仕事~

年末年始にラダックを訪れてくださるお客様に同行して、チュショットやへミスシュクパチャンでの「アポアピ」というお祭りのをご案内したり、真冬のルンバク村に行ってきます!年末年始のご挨拶が遅くなってしまうかもしれませんが、落ち着き次第またブログにアップします!また、もちろん見てきたものも報告しますね。お楽しみに~!
でも、カメラが壊れるというハプニングがおきてかなりショックなのですが・・・。なんで、こんな時に~。

2011年12月29日木曜日

12/20、ガルダン・ナムチョット!


今年もこの行事!ジ・ツォンカパの誕生を祝うために自宅やコミュニティーごとに灯明でお祝いします。この日はどこへ行ってもとっても美しい光に包まれます。


ワンボ実家での灯明!
家の窓の外はじめ家の各部屋などに置かれます。

これがそのランプです。
現在では精製した大豆油が一番良いとされているそうです。

「ブローブロー」などと言って灯明します。

灯明といっしょに子どもたちは花火でお祝い!

手にもてる花火ではしゃぐかりん!

カルギリ周辺で起きた事件、その後

LBA(ラダック仏教協会)の幹部である友人に、事件のその後について聞き取りができました。

講義集会の開かれ、一週間以内に逮捕しないと行動に出る、といった声明を発表してからすぐ、投石をしたイスラム教徒の6,7人が逮捕されたそうです。怪我をした仏教徒の女性の容態はシリアスではないとのこと。

事件当日、仏教徒は自分たちの土地であるところでロサルに関するお祈りなどをしていたところ、マータムをしていたイスラム教徒たちが投石をしてきたので、警察を呼んだところ、カシミール人の警察官が止めに入ったらしいのですが、そこでイスラム教徒たちは警察にも攻撃をしたとのことで、現在、裁判沙汰になっているとのこと。警察への攻撃は事をややこしくさせてしまったとのこと。

事件としてはある程度の解決をみせたのですが、先日もレーで行われたロサルのイベントや、その前日に行われた「ガルメ」と言われる灯明などの儀式では、伝統的にバザールのスンニ派モスクの前の場所で行われるので、水面下では仕返しとばかりにこのままモスクに火をつけてしまいそうな、酔っ払っている??若い仏教徒たちを止めたりするLBA、警戒する警察、火をつけられやしないか警戒するイスラム教徒たち、などなど政府関係者たちも含め、実は何も事を起こさないために相当緊張と警戒をしていたそうです。LBAの組織力は相当強く、また、ある意味では警察からも仏教徒の行動を見張ったりコントロールするよう連絡が入ったりするようです。

今回、事が起こらずにどの宗教、政府関係者からも安堵のため息がもれたとのこと。
また、LBAには政府関係から事が起こらなかったことで感謝の電話も入ったそうな。
何もなくロサルをしているつもりでしたが、実は、いろいろあったようでした。

1ヶ月ぶりにladakh now!を更新しました(汗)

気がつけば、11/24から未更新できたこのコーナー。やっと更新したので、思い切って投稿でも載せます。同じ情報がいつものブログ右側の下にあります。公式ではありませんが、ストックでは深夜-15度に達しています。
 
以下、LADAKH NOW のコーナーより
 
★久々更新でご失礼します!!
 
12/29  レー 、ストック
 
気温>深夜、朝方は-15度(ストック、にゃむしゃんの館にて)
 
※公式ではありません。デジタル温度計をただ外に置いての観測です。

・天候

12月上旬、それまで暖冬ぎみだった気候が急に冷え込んできました。曇りがちな日も多くなり、とうとう雪が降るかも、と思ったりさせられるこtが度々あるのですが、今でも雪は全く降らずに12月も終わろうとしています。時にはありがたい真っ青な空の下、日向ぼっこできると、気持ちが良いです。このように日中日差しがあれば体感として暖かですが、曇りの日、または日陰に入ったりするとぐっと冷えます。日がかげる4時くらいからはぐっと冷えます。
 
雪が降らない限り天気は安定していますが、いつドカンと降るかと待ち構えています。このまま1月に突入するかもしれません。
かなり冷えるので冬物のジャケット、ニット帽、厚手の靴下、手袋などのは必須。冷え性の私はスパッツ2枚重ねのシーズンに入りました。ネットカフェでのタイピングも手がかじかみます。

・交通 

マナリー~レーの陸路:
9月中旬に公式にバスが終了とのこと。タクシーなどの車は、雪さえ降らなければまだ通れる状態のこの陸路を自身でリスクを背負うことを前提に、通行することはとがめられない状態でした。
 
スリナガル~レーの陸路:
例年よりもかなり長く11月下旬まで通行できていたのですが、12月1日で公式には閉鎖となりました。が、やはり雪さえ降らなければ通れるとされているのですが、道を整備する仕事をしている労働者を撤退させているので、車の故障や道に障害がでても助けは得られない状態。そのリスクを背負ってスリナガルから12月中旬でもカシミール人などのトラックが物資を運んできていましたが、さすがにそろそろ難しいだろうとの声が多いです。しかし、今年はこのおかげで生野菜が12月下旬まであり、ロサルでのご馳走を作るのに生野菜があるという例年にない状態でした。しかも、今年のロサル12月下旬と遅いにもかかわらず。
 
2012年の1月に中国との和平協定が終わるとのことで、国境での緊張があり、国境警備や中国の侵入に備えて道を整備したり、軍のキャンプを拡張したり、道を閉鎖したりしないようにするという動きがあるようですが、中国はすでに3,4車線の道路を国境付近まで作ってあるとの情報も。インド側は閉鎖させないための努力をしているということを考えると、国境警備上は出遅れているようにも思えますがどうなのでしょうか。
 
どちらにしても、陸路が単純に開いていると言っても、公式に閉鎖となった場合は、突然の雪などのリスクを背負っての通行となるので、旅行者の方にはおすすめできないというのが正直なところです。

・電気

レーでは冬時間の通常18時~23時まで。ロサルの行事にあわせてエクストラタイムまりましたが、それが終わってからは通常の時間のみ。12/31は11時以降も送電されるのか見ものです。

・野菜市場

ナスやインゲンなどのインドからの野菜はまだ12月下旬でもありましたが、そろそろ陸路での運搬は終わって終了するはずとのこと。それでも例年11月には姿を消した野菜があるのは相当珍しいこと。もしこれ以降野菜が届いてもそろそろ凍った野菜になると思われます。

・水

飲料水は支流の小川(水路)の水が11月に途絶えてからは井戸水に頼るか、本流の川の水となっています。町ではいつものように給水車での供給もあり。ハンドポンプで汲む場所もあり。

・その他

国内線は土日の運行がない状態。雪が降って天候が悪化するとキャンセルなども出てくるはずですが、いまだ雪の気配はありません。
 

2011年12月25日日曜日

今日はレーのメインバザールでロサルイベント!

今日は、レーの街でLBA(ラダック仏教協会)ユース主催のイベントがメインバザールで行われています!LBA幹部になった友人から電話があってイベントやるから来たら~、ということだったし、ゴンパソマへのお参りとインターネットにありつこうと、数日振りにレーに。

でも、よりによってあのスンニ・モスクの前のコーナーで、モスクの玉ねぎドームを背景にハッピーロサル!という横断幕を張って、あんなに仏教徒が盛り上がる姿はちょっと微妙な感じがしたのは私だけででしょうか。ポロ・グラウンドでは駄目なのかなあ、なんて。でも伝統的にいつもここでやっているそうです。そもそもここは王国時代の王様の土地、特に王家の「畑」であったというこの当たり周辺。今はバザールになってしまっていますが、かつてはやれゴンパとかモスクとかそういうことではなかったらしいです。

女性の姿が少なく、やけに男性ばかりなんですが、みんな普段はあまり着ない伝統衣装のゴンチェスを着ているのが素敵です。いつも着ればいいのに~、なんて思ってしまいます。暖かいので一石二鳥。なんていう私は、寝坊して時間がなくバタバタで、自分こそゴンチェスを着てきませんでした~(汗)

知人友人がいれば、会う人会う人に、「ロサル ア (ラ) タシデレック!」(ロサルおめでとう)を言ってお祝いしています。

ゴンパソマでは、お参りに来る人ですごいことになっています。本堂周りの庭はそうではありませんが、本堂の中に入るのがあまりに難しそうなので、さっきはあきらめて外をスコラしてきました。もう一度挑戦しに行って見ます!

あらためて、日本より一足先に新年のお祝いです。
ロサル ア タシデレック !

「ロサル ア タシデレッ!」ラダックのお正月です。

12/25、今年は偶然にもクリスマスの日がラダックのお正月「ロサル」となりました!
・・・どうでもいことなのですが、実は自分の誕生日もこの日で重なりましたっ。個人的にはちょっと面白い年です。

さて、私の住むここストックでは12/20の「ガルダン・ナムチョット」というお祝いの日からはじまって、25日のロサルの日を迎える以前から、ロサルに関連する行事が日々なにかしら行われているという状態です。

去年もロサルをストックで経験しているのですが、レーの街に部屋を間借りして住んでいた私たち。ほぼ要の行事は見届けているつもりでしたが、いやいや甘かった。まだまだいろいろありました!更にそれぞれの意味なども可能な限り詳細に聞き取りしました。

ロサルは伝統的なさまざまなお祈りや厄払いなどを、各家ごとに家長がしっかりと執り行うのです。場所によっては村全体のお祭り行事みたいになるところもあるのですが、どちらにしても、古い年の悪いもの全てをからめ取って捨てるといった厄払い的なこと。また、日常で使っている身近な物、例えば台所用品から家畜など、さらには家族や親類縁者すべてに感謝するといった意味があります。

ネット事情にはよりますが、じっくりとロサルをリポートしますのでお楽しみに!

とはいえ、余談ですが真冬に突入してからレーの街に行くのがとっても億劫になりました・・・。まだ雪こそ降らないのですが曇りがちな日が多い今日この頃。そうなると太陽の日差しにあやかることもなく、とっても寒いのです・・・。バザールで暖を取れる場所は行きつけの食堂やネットカフェなど、あることはあるのですが、そうそう足りたものではありません。また、バスに乗るのも億劫なんです。朝夕一時間もずっと隙間風の入るバスに座っていると、足元から凍りつくかのようです・・・(汗)暖冬気味だった今年の冬ですが、すっかり冷え込んでいます。
ネットカフェに行けないという事は、ブログ更新の頻度も落ちてしまうし、メール返信すらも遅れがちになってしまうので心苦しいのですが、どうかこの事情を察していただき、ご容赦ねがいます・・・!

2011年12月13日火曜日

毎日新聞に掲載!古いラダックと栃木の縁


今年一番の大仕事だった初のストック・カングリ登山のアレンジ。
ついに、その一端がお客様によって記事になりました!

東京出身の吉村さんは現在、毎日新聞の栃木支社にて新聞記者をされています。以前から、今年自らが見て感じてきたラダックでのこと、またストック・カングリ登山のことを記事にしたいと言われていましたが、ついに栃木版で連載が設けられリリースされました。


まず、注目すべきは1974年の夏、外国人では世界初、ラダックに足を踏み入れた、宇都宮市在住の登山家、空昌昭(よしあき)さん(75)と沖さんら7人の日本人の調査隊。

そして今年、栃木の登山家、沖允人(まさと)さん(76)=足利市=率いる登山隊がラダックの未踏峰・マリ峰(6586メートル)の登頂に世界で初めて成功したこと。

そして、栃木在住の吉村周平さんも、今年の夏ラダックを訪れてストック・カングリ登山に挑戦し、見事に登頂成功した。

この栃木に関わる三人の方のラダックとの縁。
そして、1974年から比べ本当に変化してしたラダック。現在、自らの場所であるラダックに住みながらその変化と向き合うワンボ。
偶然にもラダックが外国人に入域を許可された1974年に生まれた日本人の私。何かこれらの縁にやさしく包まれるような感覚を覚えます。

あらためまして、吉村さん、こんな素敵な記事をありがとうございます。



秘境を越えて:栃木~インド・ラダック/上 
人の温かさ、魅力だった /栃木

秘境を越えて:栃木~インド・ラダック/中
伝統文化の破壊危惧も /栃木

  http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20111209ddlk09040145000c.html


秘境を越えて:栃木~インド・ラダック/下 
6000メートル超の未踏峰群 /栃木


かりん「お月様コワレチャッタ~!」皆既月食

ネット環境がなかなか整わないストック。
そして新聞など当然配達されないストック。
テレビのニュースは見れるけど、時々衛星の電波が乱れるストック。

暗くなりかけた頃、ものすごい月光を放っていた月をバックにかりん

12/10の皆既月食があったことを、事前にニュースで私たちは知る由もなかった。
しかし、この日の夕方、妙に明るい月が、まだ完全には暗くなる前からものすごい光を放っていた。それを見て私たちは大騒ぎ。何かと写真におさめる私を知ってか、かりんが「写真とって~」とせがんだ。その台詞に大笑いしながら月をバックに写真を撮影。写真とってとせがまれたのは初めてのことで驚いてもいた。

そもそも、この月のすごさから何かが違っていたのだけは察知していました。

そして、この日はコミュニティーの「マネ・ツァクツェス」の日。
みんな集まって一緒にお数珠のマネやら、マネ車を回して数えてそれを集計するという行事の二日目でした。今日は、とってもいい日だから、お祈りをすればすごい力になる。そんなことを言いながら義母が迎えに来てワンボと一緒に行ってしまいました。

この日、朝からよく分からないけどイライラしていることを認識していた私は、日中もマネに出かけて行ったかりんとワンボを見送ってから、一人でトレッキングルートのほうに歩き出し、別に一緒にやらなくても意味はある、とばかりに一人で歩きながらターコイズのマネ(数珠)を手にオムマネパドメフン・・・を唱えて1時間ほど歩いて折り返してきた。帰りは45分ほどで戻れた。途中、ずいぶんと村に近いところで30頭はかるくいたブルーシープの群れに遭遇。ラッキー!群れは本流の川に水を飲みに来ていた様だった。

歩いたことでイライラは80%くらいは解消されただろうか。今思えば、何かこの月の動き(皆既月食)に左右されてのことだったのか。決して月経前症候群というような時期でもないのだけど。女性の身体なら在りうるかもしれない。だって、満月には出産さえ誘発されるのだ。

夜、かりんと私は二人で一緒に過ごしながら、皆既月食のことなど知らずにいた。野菜たっぷりのトマトスープを作っていたら、かりんがオシッコしたいと言う。3階の部屋に移っている私たちは一度外に出ないとトイレには行けない。かりんと一緒に手をつないで外に出たら、なんと、月の左下が妙な形でかけているというか、黒くなっている。珍しく真っ黒の雲がかかってしまったのかと思って自分を納得させると、かりんが一言。
「お月様、コワレチャッタ~!」

・・・。とっさに私は、あれは黒い雲がかかってるんだよ。絵本にあったでしょ。雲さんがお月様とお話してるんだよ。あとでまたどいてくれるよ。

今思えば大人の私よりも、子どものかりんの言うことの方が正しかった!彼女は完全にいつもの月とは違うことを察知していたのだ。大人は勝手に何かと都合のいい理由をつけてしまう。

ご飯ができてやっと食べ始めた。ここ数日で12月らしい寒さになってきたので、こんな野菜スープは温まってありがたい。かりんがものすごい勢いでいっぱい食べた。よほどおいしかったと見えて、母としても満足。

食後間もなく、またオシッコしたいというかりん。「なんで、おしっこいっぱい出るのかなぁ??」と言う。最近、何かとこの「なんで??」が増えた。しょうがないので、いつも作って飲んでいる野草茶(日本殻持ってきた特別のお茶!)が利尿作用が高いので、野草茶飲んでるからだよ。と言って納得させている。
一緒に外に出ると、そこにはさっきとはまた違った、今度は綺麗な「三日月」がもっと高い位置に見えた。
今日の月は何か変じゃない?というか、多分、ワンボがいたら、もう少し何かこれをちゃんと理解していたかもしれない。でも、こういう時に頭の回らない私は、はじめは満月で、そして壊れたように欠けた月になり、そして今は綺麗な三日月。これをもっても何も察しないのである・・・。今考えると恥ずかしい。
のん気に、「今度は三日月だね~!」だとも言い放っていた。母は何も分かってはいない。どう考えてもおかしいだろう・・・。

そして、いよいよ11時の送電終了前。寝る前にもう一回オシッコ~。と言うかりん。すでに子供は皆既月食と共にあるかのように、オシッコと観測をしていた。
すでに満月に戻った月が更に高いところに見えた。相変わらずすごい月光を放っている。

この時点で母は気がつかなければならなかった。欠けた月がまた満月に戻るってことが通常あるわけがない。イライラが起こるほど何かの作用を身体は感じているのに、理論的にこの現象を解明できていないのだ。困ったものである・・・。

ワンボがマネを終えて勢いよく帰ってきた。そして、開口一番こう言った。
「今日は皆既月食だったんだよ!見た??」

遅すぎる報告であった。
かりんは子どもながらにその現象を察知していたのに、私は目の前で起こっているそれを完全に見逃していたのだ。情けない・・・。
つまり、当然ながら月が全部が隠れた状態を全く見なかったのだ。残念すぎる。

もちろん、ワンボもマネに集中していて見てはいない。
ただ、ラダックではこの現象を科学的に理解していない人がまだ多く、あれは悪魔が月を食べているのだと言って、怖がったり、良くないとしていると言うのだ。
マネの傍ら自分の弟までもがその話に加わって、科学的真相を知らないのを見て、ワンボはいてもたってもいられず、紙に書いて図解で説明してきたと言う。
何だよ、学があるからって・・・、そんな説明してくれるなよ・・・。説明されれば理解できるくらいの頭はある弟は弱った顔で言ったそうだ。憎めないおもしろい弟だ。

それにしても、
「お月様、コワレチャッタ~!」

私はこの娘のことばを決して忘れられないだろう。なぜなら、私よりもちゃんと、この現象を理解していた証拠なのだから。まったく頭が上がらない・・・・。

2011年12月7日水曜日

昨日はレーにて無事に「モハラム」が終了

イスラム教徒と仏教徒の間で起きた事件ですが、その後、私の聞こえてくる情報にはこれといった変化はありません。しかし、そんな最中、バルティ(イスラム、シーア派)によるあの行事が昨日12/6に行われました。が、特にそのことに絡んで何も起きた様子もなく、無事に終わってくれたので安心しています。 あんまり、見た目に怖いものなので、昨年お経験上、今年は特に見に行きませんでした。前日に、メインバザールに設置された救急処置所の幕を見て、記憶が蘇ったので、明日はレーには来ないと決断を下し、レーを後にしました。どの道、全てのオフィスやお店は閉まってしまうので。

正直怖かったモハラム 昨年2010年の記録
http://neo-ladakh.blogspot.com/2010/12/blog-post_18.html

2011年12月2日金曜日

カルギル周辺で起きた事件について

昨日1130は、またレーのバザールが全部閉まってしまいました。
1128にカルギル周辺でイスラム教徒と仏教徒の間で事件が起きたことがその理由でした。カルギル周辺、具体的にはブートカルブで起きたという情報も入っていますが、
この地域では、慣行的にラダックのお正月であるロサルがレー地区の日程よりも一ヶ月くらい早く、今年は11月の終わりに祝われていたのだそうです。そして同じ頃、イスラム教徒(具体的にはバルティと言われるシーア派)のモハラムという行事があり、自ら身体を痛めつけて血を流したりするあの行事が行われていたとのことです。どういうことで争いが始まったのかは具体的には情報がないのですが、ロサルを祝っていた仏教徒に対してバルティが投石をして、数人の仏教徒が怪我をしたとのことでした。怪我の状態がシリアスであるという情報もあります。

これを受けて、30日はゴンパ・ソマで集会があり、多くの人が参加しました。LBA(ラダック仏教協会)は、一週間以内に警察なりの動きがないと今のこの状況では仏教徒とイスラム教徒の関係が悪化するだろうという発言があったとのことです。
この日、ピースマーチとして、ゴンパ・ソマからポロ・グラウンドまで歩き、「野蛮な行為はまかり通らない!」といったスローガンが叫ばれたとのことです。

ここラダックにいる者として、今まで自分がいる限りでは実際にこのような宗教的緊張は正直ありませんでした。水面下ではいろいろ事情が複雑であることは認識していましたが、こういった形で事件が起きたのは初めてのことです。ちょっと心配でもあります。30日の夕方に車で閉まりきったバザールを通りましたが、2030mおきくらいに警察が数人ずつ立って警戒していました。だべっている警察官からものすごい緊張感が漂っている訳ではないですが、一応、暴動などを懸念してのことと思うと、正直、それを見てかえって緊張感が走りました。

宗教的にはいろいろあっても、両者はどうにか共存しているのかなぁ、なんて思っていたのですが、でもやはり色々聞いていると、それでも両者の間には溝がある、と認識させられます。この件で更にその溝という事実、現実を突きつけられたのですが、このことで、何か大きな暴動や問題に発展しないことを心から祈っています。溝は埋められなくても両者が共存している今のこの状況を維持してほしいと。