2011年2月20日日曜日

クシナガル 仏陀入滅の地

  晩年の仏陀は自らの身体の衰えを感じ、生まれ故郷を目指したという。しかしその旅路の途中、ここクシナガルの地で入滅した。この仏陀入滅の地には、記念のニルヴァーナ・ストゥーパが建てられていて、マハーパリニルヴァーナ・テンプル(大涅槃寺)には、横たわる仏陀の涅槃像がある。


 自らも病に倒れ、死んでいくということをもって、全てのものはうつろい行くもの、とどまるものなどない、諸行無常と教えたのだろうか。
 ちなみに、仏陀がここで病に倒れたのは食中毒が原因だという説もある。だからとは言わないが・・・!、実は私もワンボもかりんも、クシナガルでお腹を壊してしまったのでした。

 早朝は5m先も見えないほどの霧と、毛布もシーツも湿って乾かないほどの湿気。そして冷えこみが襲うからか。いや、宿で用意してもらった食事が妙に辛かったからだろうか。どちらにしろ、ひどい下痢に襲われたとき、仏陀もこうして苦しんだのだろうか・・・、なんて想いが過ぎってしまった。偉大な人物と自分を重ねるのはどうかと思うが、何かクシナガルの因縁?のようにも思えてきてしまったのは気のせいか??

 それにしても、早朝は濃い霧に覆われていたが、正午には暖かい日差しが指してきて、ウソのように暖かくなった。お腹も回復してきて一安心。

宿から近道をして村の畑や民家の中を行った。左側は麦で右側はグリーンピース。
先にはサトウキビの畑があった。どれも最近芽が出た様子。
この地域は11月ころ実った米の刈り取りをした後に麦などを植えるという。
年間を通して収穫があるのはウラヤマシイ!

仏陀涅槃像。何かの素材の上に金箔が貼られているのだろうか。
像は黄金に輝いていて神々しさが更に際立っていた。
それぞれ思い思いにぐるぐるスコラした。

静かで穏やかなお顔。慈悲深さがにじみ出ている感じがした。

かりんと一緒に手を合わせて。

ダライラマ法王が贈呈したという鐘には外側、内側ともに
チベット語やサンスクリット語で経文が書かれていた。

右はラマ僧のクンザンさん。サルナートから一緒にネパールにいくことに。
メンバーが増えて楽しくなりました。
遺跡公園内を歩きながクンザンさんがかりんに葉っぱをかぶせて遊んでいた。
かりんも喜んで声を出して笑ってます。

仏陀が荼毘に付された場所に作られたストゥーパをバックに。

2011年2月15日火曜日

バナーラス(ヴァラナシー)

日常の中にある「死」

せっかくバナーラスまできたのだからと、仏教聖地とは違うけど数年ぶりにガンジス河まで足を延ばす。ここで見るべきはやはり、ガンジス河のほとりにある火葬場のガートで有名な、マニカルニカー・ガート。毎日たくさんの死体が焼かれているのである。

日本のように建物の中で焼くのではなく、河のほとりで薪を積み重ね今にも見えそうな状態で焼かれる。ある程度焼かれると焦げた足や頭などが形をはっきりとしてくる。これらの光景を見ながら、自分も必ずいつか死に、そして焼かれたりするのだと思い想像して見るのだが、その想像もできているのかいないのか、明らかにならない。人間は太陽と死は直視できない、とどこかの哲学者が言っていたのを思い出す。

チベット仏教でも言われるのは、日常唱えたりするマントラと一緒に、たとえば一日に3回くらい「自分もいつかは必ず死ぬのだ」と唱えろという。でも、実際に生きている自分に対して、いつかは死ぬのだと分からせるのは、思うほど簡単なことではない気がする。それは、このように焼かれる死体を見てもそうなのだと思った。

生まれたこと自体が苦悩のはじまりと説く仏教。ここで、その四つの苦である生老病死のうち「死」を目の当たりにした。ここの光景のように、死が日常の中にあることはいいことだと思う。死がぼやけると、生もぼやけてくる。
写真家であり作家でもある藤原新也も言っていた。

「死は生のアリバイである」  

                      写真集「メメント・モリ」より



ここがマニカルニカ・ガート。
燃やしては河に流す。貧しいと薪がたくさん買えずに半焼きで流されるという。
ワンボはここからなかなか離れられなかった。
かりんは、何のことだか分からなかったはずだが、
ずっと見ていたら、熱い・・・と言って離れたがった。

ガンジス河のほとり。たくさんのガートがある。沐浴をする人も。

ボートで河を味わう。乾季の今は対岸にも渡れるが雨季は水没する。

かりんは、ボートにご機嫌。水をさわってみたりした。

ボート漕ぎのおじさんと一緒に。

1時間、ゆったりとボートを味わった。
何か、死と隣り合わせのこのガンジス河は、懐が深い気がした。


初めてココナッツのジュースを飲むかりん。お腹にいいんですよ。


サルナート 初転法輪の地

仏陀はブッダガヤーの地で悟りを開いた後に、多くの宗教者が集まっていたバナーラスを目指したという。そして郊外のサルナートの地にたどり着いたとき、仏陀が悟りを開く前に共に修行をしていた5人の修行者に会い、自分の悟った真理を初めて語ったという。

ヒンドゥーの聖地でありガンジス河で有名なバナーラスから10kmほど離れたところに、そのサルナートがあります。今回は、この地でダライラマ法王の説法が開かれました。この説法の様子はまたにして、まずはサルナートの様子をお伝えします。



初めての説法をした場所に5,6世紀頃建てられたダメーク・ストゥーパ。
ここに何度も来てはぐるぐるぐるぐる回った。スコラと言って時計回りに歩く。
朝晩はスコラする人でいっぱいになる。

僧院のあった遺跡。多くの修行者が修行していたという。

1902年、遺跡発掘の様子の写真が中国寺に飾られていた。

1958年のストゥーパの様子だという。まだ修復中だったようだ。

ムールガンタ・クティ寺院

寺院内には日本人画家、野生司香雪(のうすこうせつ)さんが
描いた仏陀の生涯を描いた壁画がある。
戦前のものだそう。すばらしかった!

世界中の巡礼者が壁画をながめて、仏陀の生涯に思いをはせる。

真新しいものだけど、仏陀と5人の弟子の像があり、
説法をしている様子が目で感じられる。

チョーカンディー・ストゥーパ。
仏陀が5人の修行者に会ったところに建てられたもの。
ダメーク・ストゥーパより少し離れた場所にあるが歩いてもいける。
一番上まで登ると、サルナート全体が見渡せた。

2011年2月13日日曜日

巡礼の道順

素晴らしい巡礼となりましたが、結果的には、全てが望みどおりとは言えず、予定していた場所に必ずしも行けたわけではなかったというのが正直なところです・・・。特に仏教八大聖地のうち、シュラヴァスティーやヴァイシャリーには行けなかったのが残念。
また、一ヶ月の旅程ではとっても無理だったのですが、ネパールより陸路でインドのダージリンやシッキム州に抜けるというルートも省かざるをえませんでした。これはダージリンの政情が悪く、ちょうどストライキを繰り返しているという治安の悪さも考慮してのことでした。
実際、帰りの飛行機の延長も試みましたが、値段が跳ね上がる時期なので、今回はあきらめることに。コンプリートするより、また次回のお楽しみになりました。
以下が今回のルートです。

(インド)
 ラダック        by エアー
○デリー         by 寝台鉄道
○ヴァラナシー     by タクシー
○サールナート     by 寝台鉄道
 △ゴラクプル経由   by 乗り合いタクシー
○クシーナガル     by 宿にした仏教教会の所有する救急車のバン
 
 (ネパール)
 △スノウリ(ネパール国境)経由    by タクシー 
○ルンビニ       by 長距離バス
○カトマンドゥ  
(ボダナート、バクタプル、タメル、ファルピン、
 ドゥリケル経由でナモーブッタ、パタン、スワヤンブナート) 
            by 貸切タクシーや路線バス等
 △ラクソウル(ネパール国境)経由   by 長距離バス

(インド)
○ブッダ・ガヤー  
(ラージギル、ナーランダー) by 貸切タクシー
○デリー         by 寝台鉄道
○ダラムサラ      by 長距離バス
○ジャンムー      by 長距離バス
 ラダック        by エアー

ゴンパにてマネ車を一生懸命まわす花凛。
子どもは教えなくても見よう見真似でおぼえていくのですねぇ。


2011年2月12日土曜日

巡礼を終えてラダックに戻りました!

ジュレー!ご無沙汰しております。
一ヶ月の巡礼中、まったくブログの更新をせずに失礼いたしました!

予想以上に巡礼に特化して、可能な限りの時間をお祈り、お参りに割いておりました。また、せわしく移動しながらでもありましたので、ネットカフェにはなかなか足を運べず・・・。(迷ったのですが、巡礼ということでノートパソコンは持って行きませんでした)

ブログを覗いてくださっていた方、がっかりさせてばかりでスミマセンでした。

そして、途中でメールを頂いたにもかかわらず、お返事もしていない友人の皆様方、ごめんなさ~い・・・。ようやくもとの生活に戻ったので、もう少々お待ちくださいませ~。



さて、今回の巡礼の旅を終えてみて、出発前はどれだけ自分が仏教的なその深みに入れるものか、少々疑いがあったのですが、時間がたつにつれて、チベット仏教的なそのあらゆるお祈りの仕方も、不思議なくらい自分に馴染んでもきましたし、どんどんと仏教世界に惹きこまれていったのでした。

その詳しい内容は、明日から徐々に紹介していきたいと思いますので、楽しみにしていてくださいね。
なぜ明日からか?というと、冬の現在、ラダックでは電気が夕方6時から11時までしか来ないので、ブログ作業に取り組む時間が限られているのです。どうか、そのようなラダック時間でお付き合いくださいませ。



それと、話は変わりますが、

ブログ設定の手違いで!?、この一ヶ月ほど閲覧者の方のからのコメントが入れられない設定になっていました。大変失礼いたしました。

友人からコメントが入れられなかったと指摘してもらって、まさかと思って見てみたのですが、私の勘違いで設定変更してしまったようです。今後コメントを入れられると思いますので、どうぞお試しくださいませ。というより、ぜひぜひ多くの方のコメントをお待ちしております!

義父を囲んで。仏陀入滅の地、クシナガルの涅槃像の前で合掌。

帰りはジャンムーよりラダックに向かって飛行機で。

徐々に山が雪をかぶってきました。

飛行機に乗れてご機嫌のかりん。

義父ドアップ!写真撮影のため、窓側席を譲ってくれました。


ラダック上空。我らがストック村は相変わらず美しかった!

2011年1月19日水曜日

仏教、巡礼の旅に出ました!

1月12日から16日まで、ヴァラナシーのすぐ近くのサルナートで、ダライラマ法王の説法が開かれていました。そのため私たちは、花凛も連れてワンボと父と4人、大きな荷物を背負い、1月9日の早朝、ラダックを発ちました。

前日に、行ってきます!の投稿をしようとしたら、なぜかネットが超スロー。とっても作業などできませんでした。
それからは移動やら子連れやらで、ネットカフェに近づけず、やっと借りた部屋に落ち着いたと思ったら、翌日より説法の5日間が始まりました。

急に更新ができなくなり失礼いたしました。そんな事情だたのです。

それにしても、すばらしいダライラマの説法と謁見、群衆の中で死にそう!?になったことなど、いろいろ話題は尽きないのですが、また折を見て報告いたします。

今、一人でヴァラナシに来て、これから行くネパール方面への準備をしていました。

今日の夜にはサルナートより、ゴラクプールへ移動して、クシナガル、ルンビニと仏教の8大聖地のうちの2箇所を巡り、ネパール方面を目指します。





ラダックより旅立ちの滑走路。

一面雪景色

ここから標高が下がり雲も雪もなかった。分岐点。





久しぶりのインド世界。デリーの地下鉄、カシミーリゲート駅。

買出し組みのワンボと待ち合わせの待ち時間。ついマックに入ってしまった悪い母。 

小さな夢かなったり。自分の子どもを連れてインドの列車の旅をするのが夢でした。

サルナートは説法のために一時的な町ができあがっていた。近隣諸国の仏教徒大集合。

セキュリティーのため、IDカード作成。外国人用カウンターに2時間は並んで作った。

仏陀が初めて説法をした地に建てられたダメークストゥーパ。

毎夕、説法のあとにここへ来てはストゥーパをグルグル回ってお祈り。

ろうそくを灯してお祈り

かつて仏陀の説法を聞いた鹿の末裔か?とガイドブックにあり。なるほど。

父と叔父(僧)といっしょにお祈りの途中の休息

サルナートで間借りしたお部屋の子どもと一緒に。
間借りしたお部屋。自炊しながら、屋上が気持ちよかった。

2011年1月7日金曜日

雪景色のストック山脈

神々しい陽射し。
雪の残るラダックに嬉しいぬくもりをくれます。
陽射しさえあれば、日中は暖かく過ごせます。家の中よりも外が暖かいくらいです。
雪の照り返しも強いのですが、今は、一面銀世界で美しすぎます。
その代わり、いよいよ真冬の厳しさが本格的に到来したという感じで、本当に寒くなりました。
ああ、太陽さま~、どうかいつもご機嫌で顔をのぞかせてくださ~い。


2011年1月6日木曜日

真冬は洗濯物も凍ります

洗剤を入れて漬けおきで一晩。完全に凍りました。
これからは、漬けおき厳禁です。

2011年1月2日日曜日

ラダック民族衣装②ドゥンにて

先日、「ラダック民族衣装」として、ちょこっとだけ紹介しましたがその続きです。

ラダックでは、子どもが誕生したことを祝い、Ldun(ドゥン)という盛大なパーティーが開かれます。村中、もしくは村外でもあらゆる親戚、友人が参列して、ものすごいたくさんの人が行き来します。
でもこれ、子どもが生まれてすぐするものではなく、色々なころあいを見て、例えば2~3歳と大きくなってからでも行われるのです。実際、結婚式たるものも、結婚後何年かたってから開いたりもします。日本人としてはちょっと不思議な時間の流れですが、ここではそんな自由な感覚?があります。

さて、実際に11月に開かれた近い親戚のドゥンの写真をアップします。
近親者であればあるほど着飾って参列するのですが、私の場合、オケージョン用なんて時々しかないからと後回しにして、それほど衣装はそろっていなかったのですが、親戚の女の子が面倒を見てくれたおかげで、ラダッキー女子らしく着飾るにいたりました。

何せ、ストックではすっかり知られた「日本人妻」となりましたので・・・(苦笑)、それに恥じぬよう、こちらの民族衣装を着て、そして伝統の踊りを見よう見まねで踊ったりしなければなりません。
人々の「あの日本人、ちゃんと踊れるのか~?」という視線を痛いほど浴びながら頑張りました。
後日、村の女性たちに会うと、「すごく良く踊れてたわよ!」とか声をかけてくれました。お世辞だとは思いますが、正直、ちょっと安心しました。



女性はワンボの従兄弟ディスキット。男性は旦那様のナムギャル。
彼女の次女のお祝いです。
ディスキットの衣装は光沢のある生地で作られたコースと言うもの。
前開きで、下に太目のパンツを履く。腰でスケラックというベルトを縛る。
パンツとシャツとベルトと肩にかけるショールの4つを同色や同生地にするのがメジャー。
ちなみに、このコースは既婚者が着るものです。
胸にはラダックで取れる純金で作られたペンダント。
これ、金だけにけっこう高価なものです。

右からディスキットのお母さん、お父さん、ワンボ、
ディスキットとワンボの叔母さん。
お母さんのラダッキー帽子がかわいい。

私も見よう見まねの伝統の踊りで頑張ってます。(左)
中央の女性が衣装の面倒を見てくれたドール。
彼女はとってもおしゃれが大好き。

カタクスを肩からかけて、その両端を掴みながら踊る。
とってもスローなステップですが、リズムの裏を取るような
ステップなのでとっても難しい・・・。
正直、みんな踊りたがりで、昼も夜もずっと踊り続けます。
一曲ごとにメンバーが変わるのですが、先頭に立った人がリーダーとなり、
その人の家族や親戚などがその後に続きます。
そして、リーダーは踊り終わると楽隊にお金をあげるという仕来たりになっています。

右の女の子がドゥンの主役のチョドゥン3歳。主役と知ってか知らずにか、
ちょっとご機嫌斜めで、ドレスアップしていなかったのが残念。
左はじろっと見つめる花凛です。