2012年4月2日月曜日

4/7、イベント企画の経緯と趣旨!

4/7の第二段トークイベントですが、すごく分かりやすい今回のイベントの趣旨と言いますか、イベントをなぜ企画したのかに至るような説明を、主催者の國府田さんが自身のブログで書いてくださいました。分かりやすい説明をありがとうございました。
 (略)
この企画を思いついたのは、告知の紹介文の通り、"適度"な生活とはどの程度か、考えてみたいと思ったからです。何が適度かといえば、物量やエネルギーや資金といった事でしょうか。
私は東京で暮らしています。大した収入はありませんが、つい物を欲しいと思ってしまいます。大した収入がないので、家賃や生活費、税金の事など常に何となく心配です。
なぜ、物欲があり、そして何となく心配なのか。収入があれば解決するのでしょうか。

過剰さを感じ始めたのは、ここ10年の事と思います。ここではざっくりとごく個人的に事象を挙げてみます。
2000年頃から、東京では"カフェ"ブームがあって、何かDIYである事だったり、自然志向のような流れが始まり、「大きく合理的」にという発展傾向が「小さく人それぞれ」のように変わり始めたと感じています。00年代半ばには、エコバッグなどが流行ったりの"エコブーム"もありました。00年代終盤になると、世界経済の"不安"という事が話題になって、都市ではシェアハウス、田舎への移住という事も起きています。(いろいろ端折ります。)

要因はいろいろとあるのだと思いますが、00年代初め頃からインターネットが普及しはじめ、パソコンを一人一台持ち、個人レベルで印刷物やWEBサイトを作る事が出来て、DIYである事を加速させたし、情報の種類も増えたので、価値観のバリエーションも広がったと思います。

私はたまたま、時を同じくして00年代前半に美大に通ってデザインの事をやっていたので、その辺りの事に興味がありました。どちらかというと「小さく人それぞれ」派です。「個人」がどう仕事をしていくのか、どう生活をしていくのか、世の中としてもがんばり次第で可能になりましたし、どう意図して生活していくかは重要になってくると思いました。大きい会社に入ると、それなりに安定する事は何となく感じていましたが、そこにも意図をもたないと、自分の満足は得られないだろうと感じていました。

私は勉強不足なので、学術的に説明はできませんが、日本の経済成長を支えて来た大きな組織(会社)が、20世紀の考えのまま「物を売る事」を第一義にしていては、単純に考えても、物が過剰になるし、原料は枯渇する、という事になってしまう。当然変えようはあるのでしょうが、自分がそれをやる気にはなれませんでした。

世の中的に「もう何が売れるのかわからない」のような事を見ながら、本質を問われる時代になってきているんだろうなと、感じています。

「小さく人それぞれ」派の私は、都市で生活するのがいいのか、田舎で生活するのがいいのか、しばらく考えていましたが、これについては、都市で活動したいと思いました。やはり、人にとって必要な発展はあっていいと思うのです。これは必然として発展の欲求もある気がします。また、芸術に関わる事が多いですが、これは見る人がいて価値を持つものですし、都市的な活動と思います。(地域的田舎も都市生活化しているという話もありますが。)

ただ、その発展の裏にはリスクもあって、リスクまで考えて行動できるか。これは誠意みたいなものと思います。

経済構造の話と、資源の話と都市・田舎の話が混在していますが、関連はあると思っています。そして昨年、ラダックに旅行し、日本でもなかなか遭遇できない、「生きる事」が第一義にある文化に触れる事ができました。

ラダックで生活する事の満足感と、東京で生活する事の満足感。これは異なるものです。しかし、どちらも同じ人間が得るものですし、生きていくために、食事をして、雨風寒さをしのぐ事は同じようにしているのです。この違い間を、一市民なりに考えてみたいと思いました。私は特に専門家ではありません。一緒に考えて頂けたら幸いです。

0 件のコメント: