2011年4月29日金曜日

カルマパ・リンポチェ ラダックへ

あの、カルマパ・リンポチェがラダックをご訪問されていました。
4月24日にいらして、26日にはおなじみのチョクラムサルで説法が開かれました。ここ数日の晴天はカルマパ・リンポチェご訪問のお力でしょうか・・・!?

チョグラムサルのインダス河のほとり。たくさんの人が集まってきています。
背後の雪をかぶったストック山脈が青空に映えています。

中央に座ってらっしゃるのがカルマパ・リンポチェです。

強い日差しが差すようになった今日この頃。
夏の説法の時のように、みんな傘をさして日を避けています。

この説法で、昨今の特に子どもに対する親のあるべき姿について語られていました。それはカルマパ・リンポチェご自身が輪廻転生者として幼少の頃に選ばれてからの、ご自身の体験をもっても説明されていました。

自分が輪廻転生者として選ばれたとき、子供心に「これでおもちゃがいっぱいもらえる!」と思われたそうでした。しかし、実際はとてもストイックな環境に入っていかざるをえず、子どもながらにとても苦労されたと言うようなことをおっしゃっていました。
最近、ラダックでも教育に力を入れていますので、子どもたちに必要以上のプレッシャーをかけてしまいがちです。(昨今、ラダックではインド同様に若者の自殺が多発しています)
親は子どもにプレッシャーをかけてはいけない、ということをおっしゃられていたのがとても印象的でした。

今回、カルマパ・リンポチェの姿を実際に見たのは私の人生で初めてのことでした。
ラダックで各地へ訪問されたリンポチェご一行が一般道を通られる時に、たまたま私も家族と一緒に車に乗っていたので、車を降りて反対者面の沿道に立ってリンポチェのご一行が通過するのを待ちました。沿道で合掌しながら頭を下げて、その加持にあやかるのです。
車の助手席に乗ったカルマパ・リンポチェのお顔を至近距離で見ることができたのですが、リンポチェは沿道にいる人々をこの上ない慈悲深い表情で見ながら、まるで一人一人に挨拶してくれているかのように見てくださったのです。

いつも写真で見るカルマパ・リンポチェは、とてもキリッとしたお顔立ちをされているので、こんなに穏やかなオーラを出される方だとは想像していなく、私はすっかりその慈悲深いエネルギーのようなものに包まれてしまいました。これはいったい何なのでしょう。ただ車に乗って通り過ぎられただけなのに、本当に何なのでしょうか。今年1月に開かれたダライ・ラマ法王の説法の際の謁見でも同じような体験をしました。

凡人の私には目標にするのもおこがましいのですが、しかし、こういうオーラというか少なくとも仏教の基本である慈悲深さを持てるように、日々精進しなければいけないとつくづく思わされたのでした。

参考までに・・・
「カルマパ17世」  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%9117%E4%B8%96

2011年4月26日火曜日

ラダックの杏は日本の桜です!

「これは日本の農村です」と言えばそう見えませんか??
(サスポール村)
こんな花たちを見て、脳みそが覚醒するというのでしょうか。

雪山を背後に「しだれ杏」とでも言いましょうか。
日本の盆栽のような湾曲さが素晴らしい。

少し濃いピンク色の花が自分を主張していました。
単純に色があるとその可憐さに胸が躍ります。

美しいお花に花凛も歩みが弾んでしまうようです!

愛らしい白っぽい杏のお花。
この淡さは日本のわびさびを思わせます。

満開!
咲き誇る杏の大木は堂々としていて存在感が違います。
(ヌルラ村)


無類の花見、花火好きである私。
最近やけに忙しく、そして肉体労働の日々だったのですが、ちょっと見切りをつけて杏のお花見に行ってきました。杏の花をもって、心と体に春の生命の息吹を吹き込んできました。いつも日本の桜を見てそうするように・・・。

なんて言うのでしょう。桜も杏もまさに木が発情してるんですよ。めいいっぱい自分の生命や性を表現しているその姿は、本当になまめかしいほどの生命です。
限られた短い期間にこれでもかと言わんばかりに花を咲かせ、そして散らせてしまうその潔さ。
美しい姿はほんの一瞬。この潔さと美しさに人々は魅了されるのでしょう。


【ラダックの杏前線】

ここ3日ほど、やけに天気が良く暑いくらいでした。その為、まだ開いていなかったツボミも一気に開いた様子です。4/24の日曜日、シャムのカルチェ、ヌルラは満開。サスポール付近は8分咲き。木によっては満開もあり。バスゴ、ニモあたりは6~7分咲きくらいでした。徐々にレー方面も咲いてくることでしょう。聞くところによると杏の花が美しく咲き誇るカルギルではまだ咲いていないとのことでした。

【畑仕事前線!?】
先日の畑仕事に関する投稿でも触れましたが、シャムの農作業の進捗具合には驚きました。もう既に10cmくらいの麦の芽が出ていましたし、水も水路に充分に行き渡っている感じがしました。
また、柳の木などが少しずつ葉を茂らせているのです。つまり、たくさんの緑が目に入ってくるのです!日差しも強くて暑いくらいなのでフリースも脱いで歩けました。ストック、レーばかりを見ている私は本当に驚きました。そして、やっぱりシャムっていいなぁと思いました。一足も二足も早く、そして長く、生命の息吹を感じられるのですから・・・。標高が2000m代に下がるとこんなに違うのです。

そういう訳で、ラダックの夏は近いような気がしました。

2011年4月23日土曜日

震災後・気になる情報リンク

いつも私が読んでいるサイトより気になったトピックです。ほとんどニュースにもなっていないようですが、この原発推進重鎮たちの謝罪の意味するところが気になります。

●藤原新也オフィシャルサイト
2011/4/16(sat)のトークより
「原発推進重鎮たちの謝罪が意味するもの。」
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php



ダライ・ラマ法王が来日されて法要をされるそうです。犠牲者の方の供養を一人でも多くの方ができたらいいなと思ってリンクを貼ります。

●ダライ・ラマ法王による
「東日本大震災犠牲者四十九日(七七日忌)特別慰霊法要」のお知らせ
http://www.tibethouse.jp/event/2011/110429_houyou.html

日時 2011年4月29日(金・祝)14:00~16:00

場所 大本山 護国寺 http://www.gokokuji.or.jp/ 

            東京メトロ有楽町線 「護国寺」駅 1番出口すぐ

主催 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス)

 


 

2011年4月20日水曜日

間違ってよその家のロバを・・・

いつも、うつむき加減で哀愁ただようロバ。
素朴で可愛い動物ですが意外と頑固です。
 
こんな黒っぽいのもいますし、ブラウン・グレーみたいのなイプのもいます。

さて、今回は私の失敗談でございます。
私は小さい頃から牛が大好きでした。母の実家である長野のおうちは農家で、昔は牛を4,5頭置いて牛乳を出荷していました。夏休みの長期間にわたり田舎へ預けられると、小学校低学年の当時、近所に同じ年頃の友達もいないので牛ばかり眺めていました。勝手に牛に名前をつけては呼んだりして、また独り言のように牛に話しかけてもいました。今でもその牛の顔を思い出せるくらい牛が好きでした。だから、インドに来て、街の中を牛がたくさん歩いているのが、たまらなく幸せと感じたわけです。

そんな私ですので、ラダックでの家畜の世話が格別に好きです。家にいる家畜のうち、2頭のバラン(牛)、3頭のゾ、1頭のズビ(ゾの子ども)、2頭のベツォ(子牛)、これらの顔だってだいたい認識できていて、外に放してもほぼ見分けがつくので連れて帰ってこれます。

しか~し!
うちにいる5頭のブンブ(ラダック語でロバの意)だけは全く見分けがつかず、私にはいまだに全て同じに見えるのです。そして、先日やらかした失敗とはこういうことでした。

夕方、いつものように義母が家畜に餌を与えたあと私が乳搾りをしました。(乳搾りについてはまた詳しく書きたいと思います!)
そして、いよいよ家畜を全て小屋に入れて作業が終わるのですが、大抵は家畜もお腹が空く夕方くらいになると、ちゃんと自分の家を認識しているので、私たちが迎えに行かなくても門の前などで待機しているのです。でも、時々自ら帰ってこない家畜もいます。そうすると探しに行かなければなりません。

この日も1頭のロバだけ帰ってきませんでした。そして義母が私に言いました。
「一頭だけロバが帰ってこないから、ちょっと探してきて。」
私は一瞬、躊躇しました。私には家のロバの見分けがつかないからです・・・。しかし、既に日は暮れかけていて、他の家の家畜たちもほとんど帰宅したはず。どれだか分からないほどは、もうウロウロしていないだろうと思いました。そこで、言われたがままにロバを1頭探しに行きました。

私はどこに行こうか考えて、当てずっぽうながらちょっとした勘を働かせ、家畜小屋とは反対側になる家の門の方に歩きはじめました。門が見えるところまで来た時、まさに一頭のロバがうつむき加減に立っているのが見えてきました。ちょうど1頭だけがうちの前にいるんだし、このロバで間違えないでしょう!と、私には思えました。ぜんぜん簡単に見つかったわ~!と、そのロバを連れてかえってきました。小屋に入れながら義母も満足そう。遅れて帰ってきたロバにもちゃんと餌を与えてお仕事終了。

そんな訳で一件落着の翌朝。ご飯を食べさせた家畜たちを再び外に放しに行った義母は、1頭のロバの後ろ姿を見てハッとしました。

うちのロバじゃな~い!!

昨日連れてきたロバはよその家のロバだったのです!間違ってよそのうちのロバに、ご丁寧に家のご飯を食べさせて寝かせてしまったのでした!

義母は、誰も見ていないのを確認しながら、そぉっとそのロバを放して知らん振りしたそうです。うちの祖父や義父にも知られないように。ましてやご近所にも!

その日の夕方、再び家畜たちを小屋に入れる作業をしながら義母からこの「ロバ間違え」話を聞かされ、あちゃちゃちゃ~~と苦笑しながら、肩をすくめて母と二人でケタケタ笑っていました。
昨日帰ってこなかったロバ1頭は今日も帰ってきていません。1頭欠けた状態で家畜小屋を閉めて終わろうとした時、母がニヤニヤしながら私に言いました。

「ジグメット(私のラダッキーネーム)、今ちょっと家畜小屋の外を見てごらんなさい。」

言われるがままに小屋の外を見てみると、1頭のロバが家畜小屋の木の扉をガンガンと頭突きしているではありませんか。

「お義母さん、もう一頭のロバ外にいるじゃない。入れていい?」と聞く私。

すると義母が、いかにも私がそう言うと思ったわよ、とでも言いたげに言いました。

「あのロバはね、昨日間違ってあなたが連れてきたロバよ。わかる?昨日うちの干草を食べてさぞかし美味しかったのだろうねぇ。今日もご飯が食べられると思ってここに来ちゃったのよ。」

私は一瞬止まってしまった。そしてやっと事が理解できて「あちゃちゃちゃ・・・」と頭を抱えた。そうなの?そういうことなの?やらかしてしまったわ・・・。
それじゃあ、あのロバはどこの家のロバなのかと聞くと、あれは3軒先のお家のだと言う。昨日の夕方、あそこの息子がロバが1頭帰ってきていないと探していらしい・・・。


修行が足りない外国人ということで、今回は許してもらえたらうれしい。いや、ほんと申し訳ないっ!今後は気をつけますのでどうかお許しを~。

ちなみに、うちのロバはその後3日も帰ってきていません。ぼちぼち心配になってきました。今回のように間違ってどこかでご飯でも食べていればいいのだけど、野犬にでも食べられていたら最悪・・・。どうか早く帰ってきておくれ~。帰ってきたら、まずは君からちゃんと覚えるようにするから~!

以上、ロバとは縁がなかった私の、初心者マークの太鼓判がまさに押された失敗談でございました。

2011年4月18日月曜日

古民家の修理やってま~す!

古民家の修理、ようやく本格的に取り掛かれるようになりました。ここ数年来まともに使っていなかったので、どこをどう修理するかなどあれこれ話合いを重ね、いよいよ動き出しています。
先日はやっとこさ清掃をしました。ごみの処理だけでもそりゃもう大変でした。
そして、今日はまず床の凸凹を修正するために必要な、さらさらの砂を作る作業と、それを各部屋に運ぶこと、そして砂と水を混ぜて床に塗る作業をしました。
 ・・・って、これ、みんな自らしております。基本的にラダックの家は自分たちで作るんです!
とは言え、昨今はインドやネパールからの出稼ぎ労働者の人たちがたくさん来るので、彼らを雇ってしてもらうことが多いです。でも、私たちはできるところは自分たちでやろうと思っておりま~す。


網に向かって畑の砂をかけてこします。網の裏に溜まったのがさらさらの砂です。

こした砂を目の細かい袋に入れて運びます。
カメラを向けられて思わず笑っていますが、
かなり重いので本当はゼーハー言ってます。
これを何度も3階まで運ぶんです!キツゥ~!

こさないラフな土も下地に使うので運びました。
それにも水を入れてよく混ぜて泥を作ります。
あ、水ももちろん3階まで運びますよ~。ゼーハー。

ラフな泥を塗った上に、こしたさらさらの砂で作った泥を塗って平らにします。
日本の左官屋さんのようですね。水が冷たくって手が凍えそ~でした。
で、手前味噌ですみませんが期待していなかったワンボの腕がけっこう悪くなく、
むしろきれいに出来てました!びっくり!正直、安心しました。

2011年4月16日土曜日

最近のラダック時事・ニュース

私が最近気になったラダックでの出来事を勝手にピックアップしてお伝えします。
もし、ニュースの詳細が知りたい方はネットなどで更に検索してお確かめください。

【ニュース・1】
昨年の集中豪雨・洪水の被害が大きかったレーのバス・スタンドにこんなボードが立てられていました。
「マネ・ツェリン・エリアは人々の所有地所には
安全でないと宣言されました
建設、修理復元は認められません
不法侵入は法律に従って起訴されます」
英語力がないので正しく翻訳できませんが、こんなニュアンスの内容です。レーの自治体管理局のような機関が立てたもので、ボードの後ろは見ての通り囲まれてます。
私は、これを見て安心したのが本音です。どう考えても、また集中豪雨に襲われたらとても安全には思えないような場所です。公式に建設を禁止され注意が必要な場所となれば、危険を回避するための助力となると思います。

ボードが立てられたバス・スタンドの上は今も集中豪雨で破壊されたまま残っています

バス・スタンドすぐ脇の長屋商店だった所はテントのみで営業続行中

【ニュース・2】
ジャンムー・カシミール州のスリナガルで、ラダック人の警察官がテロリスト逮捕時に殉職しました。4/7、レーのバザールに行くと全ての店が閉まっていました。正直言って、バザールの突然のクローズはよくあることなのですが、今回は何のために?と思っていたところ、このニュースが耳に入ってきました。警察官はニェー出身のまだ結婚したばかりの若い男性だったそうです。レーの空港にご遺体が着いた時にセレモニーが行われ、その状況がラダックの地元テレビ「NATIONAL・LEH」で放送されました。私の知人の親戚だったので、泣き崩れたその知人が映っていて胸が締め付けられました。非常にショッキングなニュースでした。


【ニュース・3】
スリナガルからの陸路開通に向けて、数メートルにも積もった雪を除雪車で削って道が作られている映像が同じく「NATIONAL・LEH」で放送されていました。何も知らない私は5月ごろ雪が自然に解けるのだと思っていました!インドの軍隊がその技術を駆使して、雪の中を正しく道を探り当て、除雪車で道を作っているのだそうです。ラダックに早い段階で物資が届くのは、こういった人々の努力のおかげだったのですね。

春、雪解け!畑への水入れ


 3月~4月はじめに、ゾを使って耕しておいた畑に水入れをしました。
これは、今まで乾いていた土を潤させることと、柔らかくさせる為の作業です。

今年はじめての水が水路に流れてきました!
これは畑の方向に水の流れを変えているところ。
自然にある大きな石を使い隙間を古着などで埋めてせき止めます。

写真中央にあるのが畑に水路になる溝を掘ったあと。
まずはここに水を流して、端っこから更に少しずつ全体へと行きわたらせます。

畑の一番低いところに水がゆっくり入ってきました。
全体にまんべんなく行きわたらせるため、「ケム」と言うシャベルでならします。
一番左から私、叔父の奥さま、義母。
世代は異なりますが、この家族へ嫁いできた「嫁3人トリオ!」


叔父は長靴を履いてるので、水がそのエリアを満たされるギリギリまで残ります。
こうなると、私は早く退散しろと言われ、早々に逃げます(苦笑)
ラダックでは、日本ほど長靴は当然の農業グッツではありません。
しかし、やっぱり今年は長靴を買おうと心に決めました!

大きな畑の全体に水が入ったあと。
朝の10時からはじめて午後2時くらいまでかかりました。
グチャグチャになるので、しばらくはもう中には入れません!

4月に入り、ストックの本流の川の氷がいよいよ解けだす頃、早く解けるように氷の上に砂を撒きました。そうして4月10日くらいになり、氷が解けて支流の小川に水を流せるようになりました。思えば、約半年ぶりに小川に水が流されたのです。これで村の生活はだいぶ変わります。水が使えると言うことは・・・、

1、農業用水の確保
2、小川の水を生活用水・飲料水に(水を運ぶ距離が短縮!)
3、家の建築などに使う土の加工が可能に(建設工事再スタート)

春の到来を、こんな水の流れで感じるラダックです。

さて、ラダックの主食である麦ですが、まずは大麦を作る畑ではなく、小麦を作る畑から水入れをはじめました。なぜでしょうか・・・??

・・・それは、大麦に比べ小麦の成長が遅いからです。つまり、成長に時間のかかる小麦から先に作業を開始してゆっくり育て、収穫の時期を調整しているのですね。
おお、なるほど~~!(はじめて知った私は大納得)

また、ストックの村の中でも一番上にある私たちのコミュニティーは、寒さが村の下方エリアよりも更に厳しいので、小麦の成長に時間がかかります。その為、雪どけ後、畑への水入れを一番はじめにすることが許されています。私たちが終わると徐々に下へ下へと水入れ作業が移っていくのです。
そして、先にも触れたように成長の早い大麦は、この小麦畑への水入れ順番がすべて回った後にはじまります。

丸一日この作業をしたら、本当にクタクタになりました・・・。翌日は足腰が筋肉痛。
しかし、小麦を植える予定の畑2箇所が一日で終わりました!一日では終わらないだろうとも言われていたのでこれは良かった。

畑の少しの傾斜を自然の流れにまかせて水が流れます。しかし水量の調整ひとつでその速さは少々変化するので、一番上の写真にあるようにせき止める石の置き方などでそれを調整します。これには経験が必要です。また、近所のお家の畑にも水を入れていると、水量が減ってしまうのでお互いに声をかけて上手に使いあっています。

2011年4月11日月曜日

叔父が作るラダック伝統の靴


2009年の10月。日本で生まれた花凛を初めてラダックに連れて来ました。
その時、叔父がラダック伝統の手作り靴を、自分なりにアレンジしてすごいものを作っていました。そこで、私もデザインを手伝いコラボレーションで製作しました~。なんて言うと大げさですが、デザインは花凛の名にちなんでお花です!

叔父はとっても器用な人なので、いくつも違うデザインを作っていました。時間をかけて作る刺繍がその特徴です。そして、お土産に花凛の靴も作ってもらい日本に持ち帰りました。



伝統の中にも斬新なデザインを取り入れています。可愛いお花模様!
ちょうど刺繍の途中。

私がお花をデザインし、叔父が刺繍するというちょっとしたコラボレート作品。


2009年。まだ花凛は一歳になったばかりでした~。
ちょうどよちよち歩き出した頃でしたね。
日向ぼっこも兼ねて靴作りを見学中。
 
これが花凛のです。大人のサイズだけでなく、小さい子どものも作ります!

叔父はこんなデザインも作っていました

はたまたこんなのも!刺繍が大変だそうです。

これは比較的スタンダードなデザインですね

残念ですが、今年の冬は叔父があまりに忙しく靴は一足も作ってないはずです。実はストック・グルチェシュの運営担当になり、3月までず~っとかかりっきりでした。
私も自分のを作ってもらいたくて、以前からオーダーしていましたが叶わずじまい!また折を見て作ってもらいたいです。

2011年4月10日日曜日

3年に一度切る柳の木の枝

ストックの古い家の周りには柳の木がたくさん生えています。
3~4月、まだ葉が映える前の枝。手前の下にあるのが切った枝です。

お爺ちゃんたちがノコギリで一本一本切っていきます。
細いものはバキバキ折ってもいました。

切った木を新しい家の庭まで運びます。
作業の途中で休憩しているお婆ちゃんと花凛。
チャイを飲んでタギ(ラダック風パン)を食べているところ。
お茶を左側にあるカゴ(ツェポ)に入れて持ってきました。

青空をバックにお爺ちゃんも休憩。キマッてます!
飲んでいるのはラダックの大麦で作った濁酒「チャン」
そんなにアルコール度数は強くはなく、エネルギー補給でもあります。

柳の枝は実際にこんな風に天井に張り渡す木として使います。
この細い方が柳の枝。太いほうがポプラの木。

3月初旬、ラダックが春らしく暖かくなって久しい頃、レーの郊外ではやけにポプラの木や柳の木を切っているお家が多くなりました。暖かくなった今になって、まさか薪にするため!?そうではありません。これはラダックの伝統的な家を作る際に、天井に使うための木材として切っているのです。

そうは言っても、その頃のストックではその作業の気配すらありませんでした。そうしたら、3月の下旬になってストックに行ったとき、畑仕事の開始ともに柳の木を切る作業が始まりました。さて、いったいこの半月近い時差は何だろうと、叔父と祖父に聞いてみました。それはなんと「水」が理由でした。

祖父曰く。

「柳の木を切るのはストックでは3年に一度だよ。だいたい天井に使う木材としてちょうどいい太さになってからだ。もし3年に一度切らなかったら、太くなりすぎて天井の木材としては都合が悪い。今年がちょうどその3年目なんだよ。」

ほほう。ここまで伸びるのに3年もかかるのか。
じゃあ、この3月の終わりに切っているのはどうして??
レーではもっと前に切っていたけど?

叔父が続ける。

「水だよ、水。暖かくなって雪が解けるだろう。更に凍っていた本流の川の水も解ける。いよいよ支流の小さな小川にも水が流れてくるっていう少し前に、柳の木を切るんだ。そうすれば切った柳の木が乾いて枯れてしまわずに、ちゃんと水を吸い上げることができるだろう?」

なるほど~。木のことをちゃんと考えているんだなぁ。ただ建材にするだけじゃなくて、もちろんその後の木がまた生長するためにタイミングを計っていわけだ。納得。

そして、レーというのはストックに比べて陽があたる角度としては最高の向きにある。日照時間も長い。それに比べてストックは太陽を受ける角度が少々悪く、山に囲まれて日の入りも早い。夕方4時ごろストックは陰ってしまっていても、向こう側のレーを見るとまだ陽が当たっているという状態。これらの状況からしても、レーとストックでは雪解けの時期も違ってくるし、畑仕事の速度も変わってくるのです。

そういう話になると、同じラダック内でもだいぶ地域で違いがあります。ストックやレーでもまだ種まきすらしていないのに、シャム地方(レー地域よりも西方の標高が2000m代)では、既に種まきも終えて、麦たちは10cmくらいに伸びてきていると知人から聞きました。シャム地方は二毛作が可能なのです。麦の後に蕎麦の実などを栽培しています。ああ、なんと豊かなのでしょうか。標高が高いというのはやっぱり厳しいものなのです。シャム、そういう意味ではうらやましいです、ほんと。

2011年4月7日木曜日

自我自賛で御免!野菜モモ

技術がないので美味しそうな写真は撮れませんが、
中身に肉を入れないベジタリアンのモモでも充分美味しい~!!

これがモモの具です。何が入っていると思いますか~?

3人でモモ作り。かりんも大好きな作業です。
具を作る、皮の小麦を練る、モモを形成する、蒸す、
この4段階がモモ作りの作業。

モモといえばチベット風のいわゆる餃子のことです。ラダック語では本当はモクモクと言いますが、チベット語のモモが外の世界で多く使われているので同じように使ってます。

モモはもちろん肉があってこそ旨味があって美味しくなるのですが、ベジタリアン風でも充分おいしくできます。この際なので、そのレシピをを教えてしまいましょう!これは、ストックの家で作っているやり方のアレンジバージョンです。

さて、ベジ・モモを美味しくする秘訣は、野菜のほかに入れる「パニール」です。パニールとはヒンディー語で言うところのカッテージチーズのこと。これでなんとも言えないコクが出せます。

また、もうひとつ欠かせないのが大豆を加工した「ソヤビーン・ボール」。これは乾燥させて硬くなって売っているものをお湯で戻して使います。インドなどでもベジタリアン料理には欠かせないアイテムの一つで、食感もさることながら味の染み込み具合などが良く、肉なしでも肉を感じさせてくれるものなのです。

その他の野菜は、にんにく、しょうが、玉ねぎ、にんじん、キャベツor菜もの(これは乾燥させたラダックのものも適します)をみじん切りにして入れます。マッシュルーム(フレッシュor缶詰)をいれるのもいいです。

これらを、カレーを作る要領でにんにく、しょうが、玉ねぎから炒めはじめ、最終的にターメリックを抜いたスパイスで味付けし、塩もしっかり振って味を調えて具とします。

別の流れで作っておいた皮を、ステンレスのコップなどで丸くかたどり形成します。

形成ですが、これもラダックには3種類ほどあります。写真のはそのうちの2種類です。ひとつは日本と全く同じ形ですね。もう一つはちょっとシュウマイに似た感じもします。私はこれを覚えてからはこればっかり作っています。この形を作るのすごく面白いんです。もう一つはまだ私はマスターしておりません・・・。いずれはできるように挑戦したいと思います。

そして、蒸します。ラダックでは蒸すのが主流です。ちなみに焼いてみたら、標高のせいでどうしても火の通りが悪く、上手にいきませんでした。残念。

こうして、モモの出来上がりです!
パニールが手に入らない場合は、チーズなどで代用しても大丈夫そうですね。ソヤビーン・ボールも凍み豆腐などでも大丈夫かもしれません。

ラダック風モクモク。どうぞ、みなさんもお試しくださいませ。

伝統的な手仕事「織物」

3月。畑仕事などの合間にやっているおじいちゃんの手仕事、織物。
ラダックの民族衣装を作るときは、椅子に座るようなタイプのを使っていたので
こんな長いタイプの機織機、あったんだ~と、ちょっと驚きました。
ちなみに、これが今まで見てきたタイプの織機。
夏や秋、この作業が盛んでした。

女性たちが紡いだ羊毛。これも熟練の技です。

今回使っていた長いタイプ。裏側に回ると織られた部分が見えました。
これは暖かいマットを作っていました。
長く作ったものを縫い合わせて作るようです。

素材は天然のウールを手で紡いだものもありますが、
おじいちゃんは古くなったカラフルなセーターなどをほどいてそれも使ってました。
この作業がはじまったら、そのへんに無造作に置かれたセーターが見つからないなんてことも!?
ほんと要注意です。おじいちゃんは、リサイクルのプロですから。
作業中に聞くラジオといっしょにそれら道具が箱に入れられてます。

ラダックでは男性が縫い物や織物をするのが主流です。織物で作るのはまずラダックの民族衣装のコースと言われるものです。エンジ色をしたあれです。また、伝統的なラダックの靴も、硬い皮などを縫うため力がいるからでしょうか、男性を中心に手作りしています。女性は、羊毛を紡いではそれを使って編み物をすることが多いです。

でも、こういった男性の手仕事、今の若い世代には受け継がれていない状態で、伝承が途絶えるのではないかと心配しています。まして、作ることもしない若い人たちは、特に伝統的な靴など履くことも少ないのです。

夫のワンボはこれをどうにかしたいと以前から懸念していて、自らはちゃんと作って行こう!と意気込んでいます。また、可能な限り世代から世代に伝承していけるように、おじいさんやお父さん世代から、若い人たちに靴の作り方や織物を教えていくような、伝承の場を作っていきたいとも考えています。

もしかすると、自分のおじいさんからは歯がゆくて教われなくても、他の人からは教えてもらってやれるかもしれませんし、何か、仲間と一緒に作るのも楽しくできていいかもしれません。

また、伝統的なものではどうしても嫌ならば、少しアレンジして自分のカッコいいと思える靴を作ればいいと思います。時の流れに合わせて新しくアレンジすることで、逆に伝統的なものを残して行けるのならば充分意味があると思います。

4月5日 雪が降りました

レーのお家からの景色。曇り空が広がっています。
車があまり来ない道なので雪も残ってます。


せっかく川も雪解けして春めいていたのに急に寒かった~。
背後に見えるストック山脈も雲がかってあまり見えませ~ん。
そんな残雪の中、かりんを雪で遊ばせてあげようと外へ!
放し飼いされた近所のロバに近寄られてきて、思わずイイ子イイ子するかりん。

3月に入ってからの暖かさが、ここ2,3日ですっかり冬に逆戻りしたかのようでした。
雪のぱらつき始めた夕方、近所に住むワンボの友達がワンボと一緒にうちに来て、まず部屋に入るなり「寒すぎて手が凍りそうだ~」と言い、「口もろくに動かせない・・・」と言う。
彼は普段から早口なので、「じゃあ、今日はちょうどいいね~」と私。

まあ、そんな話は置いといて、とにかく久しぶりに寒くなったら、もう寒さに弱くなってしまった自分がいる気がしました。まだまだ油断しちゃ駄目ですねえ。

かりんは喜んで長靴を履いて、雪の上を歩いたり走り回ったりしてました。小さな手で雪を触っては「つめたーい」と大きな声で言っていました。子どもにとっては楽しい雪です。

あ、そうそうこの雪のせいで、ストックへ畑を耕す仕事をしに行くはずだったのにキャンセルになりました。雪が解けないと、あと2日くらいはできないかもしれないです。しょうがないですね。

2011年4月5日火曜日

ラダックで日本への募金活動②


前回のように募金者の名前と村を聞き取り寄付金額を記録するワンボ。
 
前回も使った新聞のスクラップボード。
子どたちが津波被害の写真を食い入るように見ていました。仙台空港が津波にのまれ、
いくつもの飛行機がおもちゃの様に見えてしまう上空からの写真が衝撃的だったよう。
子どもたちに説明しているのは友人のヤンペルさん。

次々に来る募金者に囲まれながら、写真後方のヤンペルさんと日本人の奥様さちさん。
今回はこのお二人が一緒に募金活動をしてくれ本当に助かりました!
お互い子連れで大変でもありましたが頑張りました。お疲れ様でした!

新聞記事のスクラップボードと私たちからのメッセージボード。
用意したのは英語のみですが、英語がわかる方はよく読んでくれました。
新聞の写真を見る人々からは、ため息がこぼれていました。


前回のマショ・ナグランに続いて、今回はシェーで開催された「ドゥロー」というお祭りにて、東北関東大震災の被災者の為に募金活動をしました。

シェー王宮の敷地内にあるゴンパ(僧院)で開催されたこのお祭りは、4/2・3の二日間ありました。今回は二日間ともターゲットにしましたが、事前に聞いていた通り、一日目はそれほど人足がなかったのですが、ゆっくりとした人の流れの中でもたくさんの方が募金をしてくださいました。そして、うって変わって二日目。たくさんの人がお祭りに来ていまして、一日目にはなかった露店も出店されているなど、とてもにぎわっていていました。

こうして今回のシェーでも、大きな声を出しては二日間にわたり募金を呼びかけたところ、本当に多くの方が足を止めて募金をして行ってくださいました。すごいときは、次々とお金を握りしめた人々に囲まれたり、名前などの聞き取りや記録が困難なくらいに人が押し寄せてくる時もあり、てんやわんやな状態にもなりました。

また、通り過ぎた人がわざわざ戻ってきて募金してくれたり、一度してくれた人がまた来ては追加したいと言ってくれたり、「マショでもあげたけど・・・」と言ってはまた募金してくれました。
さらには、一度は募金をしてくれた人が、友達や家族を連れてきてくれたり、たくさんの小さな子どもたちもが10ルピーや20ルピーを握りしめて、照れ臭そうに、しかし真剣な眼差しでお金を差し出してくるのです。

マショ・ナグラン同様、本当に多くの方々が積極的に募金をしてくださることに驚かされました。
ラダックの人々が、こんなにも日本の被災した方々のことを思ってくれている・・・。本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。


こうして今回シェーにて集まった金額は以下のようになりました。

4/2  10,250ルピー(20,500円)寄付者数 約147人
4/3  41,850ルピー(83,700円)寄付者数 約785人
合計  52,100ルピー(104,200円)寄付者数 約932人

ここに以下のマショの分を加算すると、
 3/19 合計 33,825ルピー(67,650円)寄付者数 約554人

総合計 85,925ルピー(17,1850円)寄付者数 約1486人


 ※ 寄付者数が約となっているのは記録できなかった人が毎回若干数いるためです。聞き取って記入した記録上の合計金額と、現金の合計に若干のズレ(数百ルピー)がありました。中には寄付者が自身の名前などの記録は無用だど言う方もいて記録がありません。


この集計結果を見て正直驚きました。当初の目標の10万円を大きく上回る結果となり20万円近いものになりました。
インドは確かに経済成長目覚ましい国ですが、円とルピーの価値を比較すると金額的に期待していたわけではありませんでした。それでも居ても立ってもいられず募金活動をはじめ、気持ち程度でも義捐金が集まれば充分だと思っていました。
まして、私たちは自らが日本人だったり、その家族や友達という以外には何の組織にも属していない個人の、有志の集まりです。もし日本の街頭で募金活動している人たちがいても、どこの団体だか分からない場合には信用できずに通り過ぎてしまわないでしょうか。もちろん私もそうでした。

でも、ラダックではそういう意味での疑いを持つ人が少ないというか、人を信用する度合いが高いと言うか、もしかすると純粋なラダックの人々は、そういった悪いことをする人に疎いということでもあるかもしれませんが、それ以上に、何より他者の苦を理解できる、とても慈悲深い人々なのではないかと思えてきます。これは日本人の私にとってはカルチャーショックに近いものがありました。どちらが良いとか悪いとかは言えませんが、何か単純にこのラダックの人々の行動にとても考えさせられるものがありました。


さて、
現在はこの集まった義援金の送金方法を確認しつつ、送り先の絞込みをしています。これがはっきりしていった際にはまた報告させて頂きます。