2010年8月15日日曜日

ラダック洪水災害レポート2 チョグラムサル タシ・ギャツサル村

         新しくできてしまった川で洗濯をする周辺住民たち
         軍隊支給の飲料水システム
         傾斜を利用していて、大きなゴムプールのようなものから、
         ホースで流れてきて、蛇口から出るようになっている。
         被災者のキャンプ。

         土砂で空き地のようになっているが、元々は住宅街だった。


         どのように調査していくかメンバー同士で話し合いながら
         村長やまとめ役らと被害状況についてリストをもらいながら
         状況把握に努めているメンバー。
         新しい川となって流れているが、この水と石や岩が
         大量の土砂と共に、突如襲い掛かってきた。
         そして谷あいのインダス川へと流れていった。   


         崩壊した家々

         元々この場所に川などなかった。
         住宅は跡形もなくなり流されてしまった。


8/15 フィールドワーク in レー近郊 チョグラムサル タシ・ギャツサル村

この村はレーの町の被害以上に多くの被害者が出た場所である。このエリアの背景としてはラダックの中でもチャンタン地方やザンスカール、その他の地方といった遠方に住む人々がラダックの中心であるレーの町の近くに家を求めて住んでいる新しい住宅地だった。20年ほど前は家など何もなかったが、生活様式も経済活動も徐々に変化してきた中で多くの人々が近年移り住んできた。
こには最近まで山から流れてくる小さな川はあったが、鉄砲水により川の容量が許容範囲を超え、家々が建っているところにまで大量の水と土砂が流れてきた。想像しがたい量の水と土砂は家々と人々を襲い、逃げ遅れた人々を瞬く間に飲み込んでしまった。いまだにこの土砂の下に行方不明でっ見つからない人々の遺体が眠っているかと思うと胸が痛む。今現在も行方不明者数は600人と言われている。

土砂が直撃したすぐ近くに、被災者用のキャンプが6張ほど設けられている。テントは軍隊から支給されたものでモンゴルのゲルのような形で大きいが、その中に2,3家族が一緒に住んでいるようなテントもあり、なかなか被災生活は厳しいものがある様子。村の組織がしっかり機能していて村長を中心に村民の被害状況のリストを作っておりそれを基に支援することができそうだとわかった。とはいえ、私たちもNGOとしてそれだけを信じて支援するわけにはいかないので、聞き取り調査などをしっかりすることも確認しあった。また、村を被害の状況などに合わせて4つのグループに分けてあった。洪水から10日目にもなるので少しずつ整ってきているのだろう。

《鉄砲水が直撃し、崩壊した家々をめぐってインタビュー》
 以下に二つの家族のケースをピックアップ

●チャンタン地方出身の家族
たった2ヶ月した住んでいなかった新居がほぼ崩壊したという家族。死者はなく、家畜もいなかったのだが、すべてを失っってしまった。母と息子が土砂を出し、可能な限り家財を出す作業をしていた。息子いわく、キャンプに行かないと何も支援を得られない。今のところラダックの大きな組織LBA(ラダック仏教協会)やボランティアのNGOが食事を作って支給してくれるが、お腹いっぱいにはならず、今もお腹がすいている状態だと正直に語ってくれた。

●ティクセー出身の家族
父親はITBP(インドチベット国境警察)にて仕事をしている。家族に死者はなし。二人の姉妹のうち一人の妹の子供がジャンムーで勉強しているが学習道具、教科書などは全て流されてしまった。5ヶ月の子供もいる。キャンプには行かず、ITBTの住居に住めているが、そのせいで物資などの援助は受けられないでいる。キャンプにいないと支援が受けられない状態だということが見えてきた。

ラダック全体でこの洪水による死者数は200人と言われている、その上に不明者は600人ということはトータル800人の被害数だと言える。この災害の被害の大きさを本当に思い知らされる。
     

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