2012年4月2日月曜日

3.27 トークイベント報告 その2

この年末年始に厳冬のラダックへ来られ、チュショット村やヘミスシュクパチャン村でのアポアピなどのお祭り(儀式)を体験されたお客様から、前もって感想をいただいていましたのでイベントで紹介させて頂きました。許可を頂きましたのでブログでも紹介いたします。

このアポアピなどのお祭りですが、その内容の一つ一つの意味をできるだけ知りたいとお祭りの前や最中、いろいろな人にインタビューしてみるのですが、なかなかその詳細、とくにその「意味」まではしっかりと答えられる人がいなかったと言う経緯をまずご説明しなければなりません。登場する各キャラクターが何であって、どんなことをするという説明は多くの人がしてくれるのですが、それがどんな意味を持つのかなどを分かる人がなかなかいなかったのです。知っている人もいましたが、あまり意味まで知らなくても、お祭りを「重要」だという認識で参加したり見ている村人たちに触れ、いろいろ考えたり思うことがありました。
また、ニモ(ニンム)村においては一度これらのお祭りが15年ほど前に途絶えたのだそうです。しかし、2010年に起きた洪水以降、今年からまたそれを15年ぶりに復活させたという話を聞き、更にいろいろ考えさせられたのです・・・。伝統継承ってどういうことだろう。その継承ってどうあるべきなのだろう。
既に地域のお神輿すらやらなくなった都市部に住んでいた日本人の私。ラダックで今も行われているお祭りと消えていったお祭り。その違いなどを考え、答えは一つではありませんが私もお客様もいろいろな思いを持ちました。これらを踏まえまして、以下に頂いた感想を抜粋します。

--------30代・男性--------
「(お祭りの)意味はわからなくても、カタチだけでもやることが大事」
ややもすると、ひどく安易に聞こえてしまうのかもしれません。でも、何事もやってみることから始まるんだと思います。やってみて初めて色々感じることが、あるんだと思います。感じるものはきっとその人それぞれでしょう。
ある人は、それこそ祭りの意味意義をより知ろうとするかもしれません。ある人は、ただ純粋に祭りの楽しさを感じるのかもしれません。ある人は、祭りを通して自分の信仰心みたいなものを最確認するのかもしれません。祭りとか儀式というのは人々が何かしらひとつの気持ちになるためのものなんだと思います。でも、ひとつの気持ちになるからといって、みんなが全く同じ気持ちなのかというとそうではなくて、様々な気持ち(例えば上記のような、祭りの意義を大切にしたい、ただ純粋に祭りで盛り上がりたい、信仰心を大切にしたい等)が集まってひとつのことをすること、それがここでの「ひとつの気持ちになる」ことなんだと思います。

だから、ここまで考えてくると、私はもうなんだか儀式や祭りのルーツや意味など、不謹慎ですがどうでもいいような気もしてきました。祭りに集まって、皆で笑って純粋にただ楽しんでいる人々をみていると、それ以上何を望む必要があるかなと。
ろくに祭りのルーツもわかっていない身としては、きっと準備諸々めんどくさいなぁ、大変だとか色々グチグチ言いながら祭りの準備をし、もしかしたらそれを押し付ける上の世代の人のことも恨めしく思うのかもしれません(笑)。でも、祭り本番はそんなめんどくささをポーンと忘れて、皆との一体感を楽しむのだろうと思います。
儀式でも祭りでも、それらを通してコミュニティーだったり近くにいる人々が、同じ方向を向いてひとつになろうとする機会というのは大事なんだと思います。
世の中のパーソナル化の流れで、その必然性は薄くなっている印象はありますが、実は世の中の便利さによる錯覚なのかもしれません。
ニンム村では、一度同様の祭りがなくなり、数年前の洪水被害をきっかけに祭りが復活したという話を伺いました。私は、精霊の力とかそういうものはあまり信じない方ですが、この災害は、人は個人でバラバラに生活してはいけないよという警告に思えてならないのです。
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