2011年3月28日月曜日

畑仕事が始まりました


二頭のゾ(ヤクと牛のハイブリット)を使って畑を耕します

家畜小屋の糞と土を普段から混ぜて貯めてきていました。
それを取り出して堆肥にするために掘り起こす作業

肥料にするため畑まで背負って運びます

畑の中央に堆肥の山が高く積みあがっていきます

いよいよ3月の下旬になり、畑を耕す仕事が始まりました。
始まりには、ゾの角にオイルをぬってやりました。足の痛みがなくてすむと言われているそうです。
同時に今まで貯めていた家畜の糞と土を取り出し、更に家のトイレのも同様に取り出しました。全て人力とゾによる作業ですが、日本の昔の肥溜めのように液体状態ではなく、常に土を混ぜているので、臭い土を取り扱っている感じです。

私は家畜の方を担当しました。ずっと小屋の中にいると臭いにも慣れてきました。それにしても、適度に休みながらやらないと確かにクタクタになる作業です。

ひとまず、耕したり堆肥を出したりしましたが、まだ混ぜません。このまま2週間ほど置いてそれから混ぜるそうです。
その後、雪が解けて小川になってくるのを待ち、ようやく畑に水を入れられるようになります。

本格的な春の到来ですね。

2011年3月24日木曜日

1ヶ月半ぶりの生野菜!

ワンボの叔父さんが避寒でデリーに滞在していたのですが、一昨日帰ってきました。
冬のラダックへのお土産は、インドで主流の「ミターイー」といおう甘いお菓子の他に、なんと、生野菜が大変貴重なお土産となります。


デリーから来た生野菜とオレンジ。しょうがも嬉しい!

国内線とはいえ、飛行機に生野菜を持ち込むのって不思議な感じがしますよね。でも、こんな新鮮な生野菜はラダックで今は食べられません。
トマト、ブロッコリー、グリーンピース、ピーマン、オレンジ、これ全て1、2月に巡礼でインドに行ったときに食べた以来の本当に貴重なものです!叔父に感謝。

花凛用の絵でおぼえるアルファベット学習帳の中にあるオレンジの絵を持って。
実物のオレンジを前に教えられるのは限られた時だけ。

久しぶりの贅沢!ブロッコリーとトマトのパスタ。
高いんですけど、買ってあったパスタと生野菜を圧力鍋で茹でました。
ラダックの標高では麺はすべて圧力鍋でないと上手に茹で上がりません。

ついでなので、現在の水の状況。
レーの家は、屋上にタンクを置いてモーターで水を上げるシステムがないので、自力で水を運びます。もしモーターがあっても冬は下水道のパイプが凍るので使えません。
水は常にこうして台所に置いてある大きなバケツに入れて保管し使います。こちらは飲み水や調理用。

レーのうちはありがたいことに敷地内に水が24時間沸いています。
15ℓのタンクに水を入れて数回に分けて、下から2階に水を運ぶだけですみます。

飲み水ではなくて洗い物用の水タンク。蛇口があるので楽です。

水は苦労して運んでいるので、節約しながら上手に使います。
流しっぱなしで洗ったりせずに、お皿一枚洗うのに、一回ごとに蛇口をひねって水を止めます。コップを洗う場合は、コップの中に水を入れてゆすいだら、その水を左手の手のひらに再び注いで、コップの底の面と外側のゆすぎに使います。これはラダックの人ならば誰でもやっているテクニックなのです。私ははじめて見た時あまりのエコロジーさに驚きました。
こういうことは上手に真似していきたいです。

ラダックで日本への募金活動

まだコンピューターを修理できずにいまして・・・、数日間ブログを更新できませんでした。失礼しました。。

この間、盛りだくさんだった3月のお祭りウェークが終わりました。そのお祭りのひとつ、3月19日のマショ・ナグランというお祭りで、日本の地震と津波災害の為に募金活動をしました!

募金をするにあたってインドの新聞記事をスクラップにしました。
子どもたちも真剣にその凄まじい災害の爪痕の写真を見ていました。


本当にたくさんの方々が募金をしてくださいました!

写真手間はお友達のラブゲィ。
今回の募金集めを準備段階から全面的に支えてくれました。感謝です。
後ろの私も、つたないラダック語で募金を呼びかけています。

新聞記事のスクラップボードを持って一生懸命に説明してくれているのは、
ティクセ村出身のお友達ツェワンさん。
彼の説明と存在のおかげで、説得力がぐっとあがった気がします!

多くの方々が本当に心から寄付してくれました。




年に一度のマショ・ナグランというお祭りですので私も楽しみにしていましたが、12時くらいから始めてから夕方の4時くらいまで、差し入れのバター茶とプリー(手作りクッキー)を口にする以外、お昼も食べずにぶっ通しでした。というのも、人の流れが途切れなかったのと、人々が私たちの呼びかけを聞いて寄付をしてくれ、途切れることがありませんでした。

ラダックを訪れていた日本人旅行者のUさんも、この募金活動を知り、呼びかけをお手伝いしてくださいました。せっかく貴重な仮面舞踊の見学だったのに申し訳なかったのですが、本当に助かりました。ありがとうございました。そして、ツェワンさん、ラブゲイも本当にお疲れ様でした。


こうして、たくさんの方のご協力のおかげで、この日の夕方5時くらいまでで、
33,825ルピー。日本円にして約67,650円になりました。
記録できただけでも554人の方が寄付してくれました。

正直、思っていたよりも多く集まったことに驚きました。
時代は変わったと言えばいいのでしょうか。いわゆる「先進国」と言われるような日本に対して、いわゆる「第三世界」などの呼ばれるインドからも、募金がしっかりと集められるのです。かつてインドの先住民族を経済的に支援してきた経験から考えても、何かあべこべな気持ちになりましたが、理屈ではなく、本当に災害に対する恐怖心や同情心は、そんな概念をも超えるものなのだと思います。

また、昨年ラダックには歴史上初めて、そして最大規模の洪水の被害にあっていますので、多くの方がその経験をもって、今の日本の被災者の方々の気持ちが理解できるのだと思います。

名前と出身地を聞き取り記録していたワンボの感触でも、昨年被害の大きかった村の出身の方がたくさん寄付してくれたという感触を持ったとのことです。
この、ラダックの方々の思いが日本で大変な思いをされている多くのの方々に届くことを願っています。

引き続き、もう少し募金活動を続けてから日本の被災地に届けたいと思っています。またこの続きは報告させていただきます。

日本に住むみなさん、本当に困難な状況にあると思いますが、がんばってください。
遠くラダックにいながら、少しでも力になれれば幸いです。

2011年3月17日木曜日

ラダックで日本の為に・・・

皆さん、ラダックでも大災害が襲った日本のことを応援しています!

日本の犠牲者を思ってキャンドルを灯す参加者たち

ラダックのおばあさんもマントラを唱えながら

婦人会のお母さんたち

地元テレビの放送局も取材にきており、婦人会の方がインタビューされていました


参加者みんなで黙祷を捧げました。

昨日3月16日の夕方、ラダックの婦人会とラダック仏教協会の共催で、日本のためのキャンドルマーチが行われました!

場所はシャンティーストゥーパという、日本山妙本寺のストゥーパとお寺でした。
正直言って、急だったこととアナウンスがあまりうまくいかなかった上に、場所がバザールでないので、参加者はそれほど多くなかったのですが、それでも日本のために集まってくれた人たちがいるのです。なんと嬉しいことでしょう!

みんなでお堂にてお祈りをした後、キャンドルを灯してマーチのはじまり。
が、ここシャンティ・ストゥーパは高台の上。つけてもつけても火が消えてしまうというハプニングはあったものの、最後にお堂の前にみんなで灯した火は、ラダックのみんなの暖かい心のようにずっと灯されていました。

最後にラダック仏教協会のゼネラル・セクレタリーの方がスピーチをされました。ニュースで見る日本の様子を説明し、多くの方が亡くなったことを知らせていたのでしょう。今は放射能汚染の危険性にもさらされていると言うとお母さんたちから、どよめきの声が上がりました。

そして黙祷を一分間ほどささげました。

私は日本の為にこれを企画してくれたこと、参加してくれたことに、今日本でがんばっている人たちに代わってどうしても感謝の気持ち表したかったので、最後に少し挨拶をさせてもらいました。日本人として一参加者として。


私は必ずラダックでも日本の大災害で犠牲になった方のご冥福を祈ってくれていること、また一日も早い復旧を願って応援してくれている、ということをネットなどを利用して伝えますと。

また、仏教協会の方が私のところに来てくれて、さらにいろいろと説明してくれました。


今、ラダックではホーリーマンスなので各地で多くの人がお祈りをしています。ついここ2.3日もレーにあるゴンパ・ソマで日本の為のお祈りをし続けていました。また、仏教協会のネットワークを使って、全ラダックの僧院で日本のためのお祈りをささげることを指示、伝達しました。

今回の大災害で犠牲になった方々の魂を慰めるため。そして、日本が一日も早く元のように戻ること。復旧が進むことを願ってと。


聞きながら胸が熱くなりました。本当に感謝の一言です。チベット仏教のラマ僧は何より、死後の魂を正しい道に先導する専門家です。どうか、この祈りが犠牲になった方の魂を一人残らず慰めてくれますように、私も願うばかりです。本当にありがとうございました。

日本のみなさん。どうかこのお祈りやエールを受けて、がんばろうではありませんか。


できるだけ多くの方にラダックからも日本を応援してくれていることを知ってもらいたいので、もしよかったらこれを被災した友達や知人の方などに伝えてあげてください。そのための転載やリンク歓迎です。

頭が切り替わらない日々

昨日、日本の家族から電話がありました。長野にいる祖母が亡くなったとのことでした。

祖母は99歳で、大往生も大往生。なので、悲しむ以上にそこまで逞しく生きてくれた祖母に感謝こそしなければならないのですが、悲しくないと言えば嘘になります。
せめても救いなのは、数えで言えば100歳であるということで、今年の2月に白寿のお祝いを盛大にしたことです。もちろん参加はできませんでしたが、写真などを見て一緒に喜んでいました。

私は祖母が亡くなってしまったら、必ず帰国しようと思っていました。しかし、突然のことですぐには対応しきれない上、今の大変な状況の日本に行くことは、正直言って難しいことでもあります。


最近、自分を取り囲む状況が何か良くわからないのですが、津波や放射能汚染のニュース、祖母の死などの辛いニュースがありながら、ラダックでは年に一度のめでたいお祭りウィークだったりと、ちょっと頭が切り替わらないというか、心がついて行かないと言うか、何かそんな日々をすごしています。
 
また、昨日はニュースや非政府による情報をつかむ為の大切なコンピューターが、壊れてしまいました。今もまだ使えません。今詳しい人に見てもらっています。大切なメールチェックやブログの更新もできなかったので、今はバザールのネットカフェにきています。いろいろ重なるものです。。
 
辛いニュース、めでたいお祭り、辛いニュース、地元コミュニティーのめでたいパーティー・・・。
そんな順番で物事が起きているので、心がついていけないでいます。
 
それでも、今、らダックでできることを模索していて、各方面に義捐金集めなどを持ちかけています。またこれについても報告させていただきます。
 
みなさんも、TVのニュースやネットに付きっ切りではないでしょうか。
健康第一ですので、どうかお身体ご自愛ください。

2011年3月16日水曜日

福島原発の放射線測定

3/15、静岡を震源地とする震度6の地震があったとのこと。みなさん大丈夫でしょうか・・・。

ここ数日の政府や東京電力の発表がどこまで信頼できるものなのか、判断できない、もしくは疑わしいという感情を持ってしまう人も多いと思います。私もラダックにいながら、できる限りの正確な情報を集めたいと思っています。

そして、たまたま私が「福島原発の放射能汚染は」などというタイトルの投稿をしてしまったら、それが検索にあがってきてしまい、多くの人が開いたという統計結果が出てきており、ちょっと失敗したなと思っています。しかし、多くの人が放射能汚染を気にして、一生懸命ネットで検索していることも分かりました。ごもっともだと思います。

私も手元に届く情報が、不安を仰ぐ材料になってしまうかもしれないという心配をしながらも、可能な限り正しい情報を共有をしたいと思い、このブログでも転載などしたいと思います。
得た情報の解釈は自分でしてもらうことを前提に・・・。
 
  -以下転載- 

<転送/転載可>
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最新動画【原発事故】
計器メーター振り切れ、放射線測定不能(14分)
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スカイプ報告:森住卓/広河隆一(ビデオあり)
動画URL:http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/865
掲載日時:2011-03-14 03:35:34

フリーのフォトジャーナリストなどでつくる「日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)」のメンバー5人と雑誌「DAYS JAPAN」編集長の広河隆一さんは13日、福島第一原発付近の放射線量を計測したところ、携帯していた計器のメーターが振り切れ、計測不能だったことが明らかとなった。

福島原発の取材のため、この日、双葉町に入ったのは、フォトジャーナリストの山本宗輔さん、森住卓さん、野田雅也さん、豊田直己さん、綿井健陽さん、広河隆一さんの6人。
前日に郡山に入り、13日、既に避難地域となっている双葉町に入った。

午前10時20分時双葉町役場玄関付近で放射線を計測。すべての
測定器が振り切れた。更に午前10時30分頃 双葉町厚生病院玄関前で
計測したところ、ここでも、すべての計測器が振りきれたという。

使用した計器は「BEIGER COUNTR DZX2(上限は1000マイクロシーベルト/時)」
と「VICTOREEN 209-SI(上限は10ミリレントゲン/時以上)」及び「MYRate PRD-10/1(上限は9.9マイクロシーベルト/時))の3台。限を超えているため、正しい値を確認することはできなかった。

原子力問題のスペシャリストでもある広河隆一さんによると、2月末のチェルノブイリ原発取材で、事故炉から200メートル付近で計測した値は4ミリレントゲン。事故炉から4キロ離れた、プリピャチ市で計測した値は0,4ミリレントゲンで、いずれも今回の計測が上回っており、非常に高い水準にあるという。

しかし、取材の途中、役場などで避難していないと思われる住民と遭遇。また帰路の国道288号線でも、多くの住民が双葉町の自宅に戻っているところを目撃したという。ほとんど住民が双葉町の高汚染について知らず、植物に水やりをしたり、服を取りに帰る途中だった。中には子どもを乗せた車もあった。

取材班が車を止め、長時間の滞在は危険であることを知らせた。半径二〇キロ圏内立ち入り禁止の表示も、検問もなかったという。広河さんは、余計な被ばくを広げないためにも、政府がきちんと情報提要すべきだと話している。

※音声も映像も非常に不十分な状態であることをお詫びいたします。このリポートは毎日継続する予定です。
YouTubeにもアップしていますので、ブログ等に貼り付け可能です。

◆動画URL
http://www.youtube.com/watch?v=IqqLU4q1dBg

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NPO法人OurPlanetTV
http://www.ourplanet-tv.org/

日本のために、お祈り。

3月14日、15日は、ストックで年に一度開催されるお祭り「ストック・グルチェシュ」でした。
でも、日本の大災害を思うと、ストックの実家には来たものの、これを見に行くことに何か気持ちがのりませんでした。しかし、ここで生活していっている以上、ここでの行事も大事なもの。思い直して出かけることにしました。

しかし、この報告はまたにしたいと思います。今は、それよりも大変な日本の状況を遠くラダックからも共有していきたいと思っています。


そもそも、このブログを始めたのもラダックから、ただこちらの状況を伝えたいだけではありませんでした。もっと野望的には、日本人に元気になってほしい!ラダックやインドについてを紹介することで、また、異文化の価値基準の違いを知ったりすることで、世界観が広がったり、自分の文化を見直すきっかけになったりしたら、なんて素晴らしいだろう、なんてことを考えていました。

私がインドに通い続けたのも、生きづらい日本でいかに生きていけるかを、インドから教えてもらうためでした。こうして書くと大げさなようですが本気でそう思っていました。

ラダックにいても、私は日本のことをずっと考えています。


さて、そんな中、13日の日曜日はストックの実家で同じコミュニティー同士が集まってお祈りをする行事がありました。日本の地震と津波の大災害の後でしたので、このお祈りの機会を利用しない手はないと思ったのです。
こうしてラダックにでも来なかったら、普段から信仰心にかける私はお祈りという行為すら身についたものではなかったのですが、今は素直にお祈りしたいと思えています。


夜、お茶や食事の休憩も挟んだりしながら、7時くらいから始まって12時頃まで参加しました。
今回のお祈りでは、みんなが唱えるチベット語の長いお経を一緒に唱えることもできないので、日本の「般若心経」を印刷してもって行き、私一人、このお経をひたすら唱えていました。

この大災害で犠牲になった方々のご冥福を祈って・・・
放射能汚染が拡大しないように・・・
再びこのような大災害が起きないように・・・
被災地の救援活動と復旧がスムーズに進むように・・・

何度も何度も、心からお祈りしました。
このお祈りが届いてくれることを切に願っています。

2011年3月12日土曜日

福島原発の放射能汚染は

3/12の朝になり、東北沖で発した地震と津波の被害の様子が明らかになってきました。
インドでもトップニュースは日本の地震と津波です。

こちらレーでは、偶然にも?いつもよりも早く午後1時ごろに電気が来たので、再びテレビにかじりついています。宮城、福島、岩手の悲惨な映像が目に入ってきます。自然には太刀打ちできないことを実感させられますが、悲惨な状況の中、どうにか生存者がいて救出されているニュースも入ってくるので救われます。

そして福島原発の放射能汚染が深刻な状況なようで心配しています。

原子炉そのものはまだ爆発していなく、天井や建物が崩壊しただけで、原子炉は爆発しなかったと発表されたようですね。
あのタワーの後ろで爆発している映像はそのように、外の部分の爆発だけだったと。ちょっと信じがたい気もしますが、ここで嘘を言うような日本政府ではどうしようもない!

こちらの衛星放送で見られるロシアのテレビ局「RT」では、その爆発した時の映像を、繰り返し何度も何度も流しています。放射能汚染はまぬがれることができるのでしょうか。とても心配です。

専門家の方のコメントで、汚染が発生した場合、風に乗って放射能は運ばれてくるので、風向きに注意するようにといった情報も入ってきています。可能な限り気をつけてください。

日本で発生した地震・・・

日本に住んでいるみなさん、地震大丈夫だったでしょうか。

私はインド時間で3時前くらい(日本時間6時半くらい)、本当にたまたまラジオをつけたところ、ヒンディー語だったのですが、日本で地震が発生したという様なニュースが聞こえてきて、ん!?と思って聞き耳を立てました。
あまりはっきりとした状況がつかめず、夫が携帯でネット検索しはじめた直後、午後3時にようやく電気が来てテレビをつける事ができました。
衛星でNHKワールドが見らえれるのですが、その大きな被害の様子が映像で見えてきました。

神奈川は川崎の実家に電話してもつながらず、どのくらいの被害が及んでいるのか分からず、しばらくは心配な時間をすごしました。
でも、NHKワールドも渋谷のスタジオで放送を送り出しているということは、きっと東京は大丈夫なのだろうと思い自分を落ち着かせました。

そうこうしていて、ようやく電話がつながり家族と話ができました。
「今までの人生で一番大きな揺れで、本当に怖かった。思わず家の外に飛び出したのよ。」
と母が言っていましたが、家の中は特に家具が倒れたりすることなく無事だったと分かりました。
しかし、神奈川の各地で直後から停電になっていて、ラジオや携帯のみでニュースを確認していたそうです。阪神や東北などと違って、東京は今まで大きな地震を経験していないので、この規模は初めてのことだったようです。

また、一人暮らしの友達が心配で電話すると、日本時間の12時近くでしょうか、ようやく電車が動き出して(私鉄東急線)帰宅難民になっていた状態から家路につけたとのことで安心しました。

それにしても、宮城や福島の津波の映像が本当に恐ろしくて、あの真っ黒の水が畑や家、車など全てを飲み込んでいく様や、津波の行く先にまだ動いている車が走っていたりするので、見ながらもう辛くなってきてしまいました・・・。

日本のみんさん、引き続き余震や津波にどうか、どうか気をつけてください。

まだ、明日の朝にならないと、被害の状況が分からないかもしれませんが、
一人でも多くの人が無事でありますようにと祈っています。

悦子
ワンボ

2011年3月10日木曜日

薪ストーブでお菓子作り

巡礼から帰ってきてからというもの、あの寒さの中でも、家の中ではある楽しみがありました。
それは、薪ストーブで作るラダック伝統のお菓子作りです。

我が家のストーブ。お湯を沸かす、調理、部屋の中の乾燥を防ぐのもお手の物。

この冬を乗り切るため、チュショット村にある加治屋さんにオーダーメイドして作ってもらったストーブです。最近、ラダックで流行のスタイルですが、仏教的なシンボルのデザインがないシンプルヴァージョン。デザインがあるともう少し高くなり、かつ仕上がり時間もかかるのでやめました。
しかし、すばらしい多機能ストーブです。3500ルピーだったかと。7000円くらいですね。

元々はラダックの伝統的なストーブがこのように多機能ですぐれものなのですが、昨今はあまり使用しなくなっています。それに代わってこの簡易ヴァージョンのストーブが使われるようになったようですが、可能な限りの利点を引き継いでもいるとも思います。

上の入り口に薪や糞を入れて、極めつけのケロシンをかけます。
残念ながらケロシンなしでは糞も薪も燃えつきが悪いのです。
標高が高いせいでしょうか??

薪を入れるところは格子状になっているので、下の引き出しに灰が落ちてたまります。いっぱいになったら引き出しを取り出して捨てられるようになっています。

その灰はトイレにぶちまけます。トイレはいわゆるボットン便所で、便に砂や灰をかけて処理する(穴に捨てる)のに使えるのです。そして、たまった便はもちろん畑の肥やしとして利用しますので、すべて無駄にならない循環がここにあります。

ちょうど使用している様子
 薪を入れる口の隣にはもう一つ引き出しがあって、ここがオーブンのようになります。
このようにお菓子を作るでもいいし、冷めてしまったパン類のものを暖め直すこともできます。

ちなみに、この引き出しの左側、ストーブの側面にあたる部分にも蓋があるのが分かるでしょうか。この蓋を開けると空洞になっていて、ここでも暖めが可能ですし、洋服などを乾かすことができます。真冬で凍ってしまう洗濯物も、小さければここが一番早く乾きます。
また、子どもがいるとオシッコなどのソソウでも大助かりですが、うっかり忘れると焦げます・・・。実際にこの冬はズボンを2枚焦がしてしまい、もったいないので雑巾にしました~。

これがラダックの小麦粉or全粒粉のお菓子プリー。
場所によっては違う呼び名もあるようです。

小麦粉や全粒粉にバターや油、砂糖、ベーキングパウダーを入れてこね、丸く形成します。
表面にナイフで模様をつけるのが特徴。

できあがり!
 焼くときは火をがんがんにして焼き上げます。狭い場合は部屋が熱くなるくらい。
ゴマや名産の杏の種を表面に埋め込んで焼いたりも。トッピングは見た目にも楽しくなりますね。ちなみに正確なレシピというものはありません。軽量カップなるものもないので、目分量で材料を入れますし、人によって味が違うので、どんな味に仕上がっているか人にもらうのが楽しみです。

こちらは、調子に乗っていろいろ形成を楽しんだ私ヴァージョン。
伝統を崩して?(笑)アレンジでいろんな形を楽しんでみました。ドーナッツ型やネジネジがおもしろかったです。ワンボの実家のおうちに持っていったら、子どもたちはいつもの形と違うので大喜び!しかし、おじいちゃんに一言こう言われました。
「ヒマだからってこんなんで遊んでまぁ。」 ・・・そんな皮肉たっぷりなお爺ちゃんが素敵なんです。

2011年3月9日水曜日

手作りお雛さま



見ての通り即席ですが、一緒に作っているのを見て喜んでました!

ドスモチェ報告ですっかり後回しにしてしまいましたが、3月3日は「ひな祭り」でした。

雛人形をまったく用意できませんでしたが、今年は手作りでお祝いしました。娘と一緒にひな祭りの歌を歌いながら、お雛さまとお内裏様という名前を覚えました。

でも、はじめは「おひなさま」となかなか言えなく・・・、
「お・ひ・さ・ま~」と言ったりしていました。
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに~」はすっかり歌えるように、いえ、言える様になりました。


2011年3月7日月曜日

ドスモチェ in レー ②

引き続き、今回もドスモチェの様子です。
神聖なお祭りの、もう一つ別の表情をお伝えしたいと思います。お祭りといえば日本でも出店が出たりと娯楽的な部分もありますよね。このドスモチェも、大変な盛り上がりを見せていました!

レーのメインバザールは人でいっぱいで、みんなそれぞれに楽しんでいましたが、一番驚いたのはチャリティー宝くじです。これは身体的な障害を持った人たちのグループによるもので、このグループは、普段は自ら作った手芸品などを販売したりする活動をしていて、たしか私も、夏にお店で商品を見たことがありました。とっても素敵な小物が魅力的なのを今でも覚えています。


そんな宝くじは一口が20ルピーなんですが、その豪華商品のリストにびっくりさせられました。ノートパソコン、冷蔵庫、洗濯機、TV、ラダッキースタイルの机、ペー(炒った大麦粉)を入れる木製の器、クッションなどなど。

電化製品まであってかなり豪華。

私たちは、ドスモチェの前に夫の友人がチャリティーくじを買ってやってくれ、と言って来たので先に買っていたのですが、くじに豪華商品が書かれていても失礼ながらちょっと信じていませんでした…。

しかし、当日バザールに行くと、トラックの荷台にそれらの商品を載せて実物を見せながら宣伝し、そこでもくじを販売していたのです。はは~、これはすごい。本当に用意してるんだ!と正直思ったのは私だけでしょうか。

今やラダック、いやインドの発展のすごさを、こういうものからも感じる今日この頃です。


さて、二日目の夕方、バザールからすぐのポロ・グランドに人々が集まり、当選者の発表となりました。寒くなるので私は子どもと先に帰宅しましたが、夫が残ってその行く末を見届けました。

抽選は小さな子どもに、くじの入った箱の中から引かせるという方法がとられていたそうです。子どもは確かに不正は働かないでしょう。

当選者の番号と名前が読み上げられます。
…当然ながら、私たちは当たりませんでした。

残念。実は洗濯機ほしかったなあ。まだまだ手洗いの日々が続くのか…なんてがっかりしたりして、私もすっかり現地の人のように多少なり期待しておりました。

当選者は会場にいない人が多かったようです。でも、これってラダック特有の遠慮の美徳で名乗り上げないだけ~??。なんてちょっと思っちゃいましたが、名乗り出なくても連絡先でコンタクトできるそうですので大丈夫だそうです。

ちなみにこの豪華商、スポンサーによるものだったそうです。宣伝を兼ねてTVならばTV屋さんが出品し、机は机屋さんがといった具合だったそうです。なるほど、お互いに得のあるよくできたシステムでした。

2011年3月5日土曜日

ドスモチェ in レー ①

2011年3月2日・3日、ラダックではドスモチェというお祭りが開催されました。私たちはレーでのそれを見に行きました。

その様子の前に、まず訂正しなければならないのは、何を勘違いしたのか、私は「ドスモチェで五体投地をする群れが見られる~」、とブログ内のイベントスケジュールに書いてしまいました!が、これは大間違いでした。ドスモチェではあくまで、一日目にチャムと言う僧侶による仮面の舞踊が行われ、二日目にストルマと言う小麦粉やバターを形成して作った供物を、または糸で作られた大きなストルマを火に投じる儀式が行われるのでした。大変失礼しました。。

それでは気を取り直して、ドスモチェの2日目の様子を写真でお送りします。


一日目に仮面舞踊が行われた場所。レー王宮のすぐ手前にあり、見ての通りの高さ。
ここまで子どもを抱いて来るだけで一苦労。トレッキング状態でした。
二日目も、ここでストルマ(供物)を運び出す儀式がスタート。


これがそのストルマ。僧たちによる儀式がスタート。
ドンピンシャン、ドンピンシャン、奏でられるのはいつものお祈りの調べ。

いよいよ、ここから運び出されます。

こんなお面をかぶせた大きなもの初めて見ました。

あんな高~い所から、レーのメインバザールまで降りてきました。
この時、既に私はこのスピードに着いていく為に、歩みの遅い子どもと夫を置いて、
カメラを手に一人で小走り状態。なんて母だ~!


こんなチャムの主人公を、超俗世間のバザールで見るのはちょっと不思議な気分です。

レーのバザールのはずれ、ゴミなども捨てたりしている空き地にたどり着く。
用意してあった薪の近くで行列は止まった。
上からは眺められるが、警官たちに止められ近くへは近づけない。

マントラを唱えているのでしょうか。一人の僧がストルマを薪へ次々と投げ入れる。
ちなみに、
置いてきた私の娘と夫は今頃どこに?ちょっと心配になってきた・・・。

薪とストルマに点火され、仮面舞踊(チャム)で儀式のクライマックス。
そうしていると夫から電話が入る。メインバザールにいるとのこと。
スミマセン・・・。この儀式を一人だけで楽しんでしまいました~(汗)

 さて、こうしてストルマは燃やされましたが、「ド」と言われる糸で作られた大きな「糸ストルマ」がここには来ていません。あれ・・・??

パレスから降りてきた辺りに置かれていて、これがその「ド」か~!と思いつつ、同じようにここに来ると思ったら来ないのです。
いや、置いてきた子どもと夫に申し訳なく、上記の儀式が終わるとそそくさと戻ってしまったのですが、きっとその時、別の道を通ってきたので行き違いになってしまったのでしょう。
あらら、残念でした~。

バザールに戻ると、娘は走り回っては夫を困らせて?おりました。
いやはや、申し訳なかったです~。

ちなみに、その糸ストルマのドは、その昔日本で流行った、リリアンをご存知でしょうか。
あのように、大きな台座になるものに、ぐるぐると糸を絡めた様な形状のものでした。

2011年3月2日水曜日

バクラ・リンポチェがストックへ




2/24、ストックにあのクショク・バクラ・リンポチェ20世がいらっしゃいました!

ゲルク派の総本山であるスピトゥク・ゴンパの座主であり、ラダックのラマ僧の頂点にいるのがバクラ・リンポチェです。

2003年に亡くなられたバクラ・リンポチェ19世はインド政府により、モンゴル大使に任命されていたこともあり、モンゴルでも有名だったそうです。今でも、どこかのゴンパに行けば大きな写真が飾られていて尊敬されているのが良くわかります。

現在のリンポチェはラダックのヌブラにて2005年に輪廻転生されて探し出されました。今現在、年齢にして5歳くらいですね。

同じ仏教でも、菩薩などの生きた化身、活仏が身近でない私たち日本人にはちょっと信じがたい、という方もいるでしょう。けれど、チベット仏教では活仏はあまりに当たり前な存在です。


今回は、ストックにいらっしゃるだけでなく、何がすごいかといえば、私たちのコミュニティー、スプンルールに特別にお立ち寄りいただいたことです。

歓迎の横断幕やタルチェンなど、事前からものすごい準備がされ、ありがたいお立ち寄りの日を迎えました。



ようこそ!スプンルールへ。光栄でございます。


近所の子どもたちがこの上ないくらい着飾ってお出迎え

私はお花を持ってお出迎え。もちろん造花ですが・・・。
本当は寒さで凍えそうです。

伝統的な白い衣装を着て、乗馬でリンポチェの車を先導する叔父(左)
と親戚のおじさん(右)。腰巻には剣も携えていてかっこいい。

待つことどれくらいでしょうか。凍えかけた頃、ようやくご到着。
馬が先導しています。粋ですね~。

この瞬間、曇間から日光が差したのは偶然でしょうか!?
高僧ともなるとそんなパワーがあるとも聞きます。

かっこよすぎる伝統的なお出迎え。
身近な人がやっているのを見て正直さらに感動しました。

リンポチェは助手席に乗っていらっしゃいます。
やっぱり気になるのでしょう。後ろに続く車を見ていらっしゃいました。
もちろん、前をゆく馬も見ていらっしゃいましたよ。


事前に準備して揃えたこのお立ち寄り場はコミュニティーゴンパのすぐ下。
開放的な空の下に、こんな仮説の空間ができました。
写真手前の後姿の黒い服の女性は、リンポチェを生んだお母様らしいです。
時にはこういう風に付き添っても来られるのですね。
 
率直に申し上げて、とっても可愛らしいバクラ・リンポチェなのです。


みな、頭を下げながら次々と加持にあやかります。

ありがたいご訪問に心から感謝です。
この後は同じくゲルク派であるストックゴンパに一泊されました。

ちなみに、リンポチェの後ろで一生懸命カメラを向けてるワンボも見えますね。