2010年12月31日金曜日

Once again snowfall on New Year Eve







And it finally snowed again in ladakh,the prayer of the the ladakhi has been fulfilled at last with this shower of snowfall.Ladakhi farming depends on the quantity of snowfall,if there is a shortage of snowfall in winter then its a bad luck for them in their farming during summer.Its the snow that play an important role in the life of ladakh people.














祈りの三日間マネ・ツァクチェス

12/27より三日間、またもストックに帰ってました。
今回は、隣組のようなコミュニティーのみんなが集まって、三日間、昼も夜もお祈りをするという、何とも清らかな行事があったので参加してきました。

ストックには、大きく分けて、6つのコミュニティーがあります。そのストックで一番奥(上)にある我らのコミュニティーが「スプンルール」と言います。合計、7家族の集まりで、その中には分家もあるので、お家の軒数で言えばもう少し増えますが、可能な限り皆が参加します。
今年は、我が家「ニャムシャン」(家の屋号です)が、会場となったので、これまたちょっと忙しくなりました。

午前中、10時を過ぎる頃になると、ぽつぽつと人が集まってきました。おもむろに客間に座ると、持参したお数珠の玉を、時計回りに一つ一つ丁寧にまわしながら進ませ、口では「オンマニ パドメ フム」とマントラを唱え続けます。それを右手でやりながら、左手ではマネ車をこれまた時計回りに回すのです。余談ですが、これ、簡単そうに思えますが、実際にやってみると、両手でそれぞれを回すのは難しいもので、それなりの熟練が必要です。

ちなみに、今回、私たちはホストですので、来てくれた人に次々とお茶を出したりとお世話をはじめます。いつの間にか、部屋がいっぱいになるほど人々が集まり、マントラが響きわたりました。
気の知れたご近所さん、もしくは親戚ですので、何も堅苦しくはないのですが、私は一人、粗相をせぬよう、外国人妻なりに役割を果たすべく努めます。

ここでメインの、いわゆるバター茶は、日本のビールのように何度も注いであげるものなので、様子を見ながら、どうぞどうぞと注いでまわります。簡単そうですが、これの何が難しいかといえば、日本の比ではないほど、ラダック人は遠慮が美徳ですので、ほしいのに、いらないと言ってきたりするわけです。でも、これは、そういうスタイルなだけで、実は飲めるし飲みたかったりするのです。ですので、断られても、負けずに3回はどうぞどうぞと言わないと、ちゃんと接待したことにはなりません。
しかし、本当にいらない人もいるのです。この見極めが難しいのです。正直、いまだにその見極めに自信はありませんが、なんとかやってきました。


本題に戻りましょう。
こうして、お茶をすすったりしながら、また、時には和やかな歓談もあり、数時間お祈りをしている間に、全員分のご飯を用意し給仕します。皆でご飯を一緒に食べたかと思うと、またお祈りがスタート。人によっては帰ったりもしますが、夕方4時すぎまでは続けます。

ここでちょっとブレイクで、みんなおもむろに帰宅していき、各自のお家の世話でもするのでしょう。
そうかと思うと、6時、7時にはまた集まり、今度は大きな方の客間に座って頂き、お祈りが再スタート。夜は仕事や学校のある人も来られるので、いっぱい集まりました。多分、30人以上はいたでしょうか。
子供から老人まで、みんなでお祈りをする穏やかなこの場と時間が、なんともステキなもので、ちょっと癖になりそうでした。というのも、こんなに、みんなで集まって何かするのも、あるようで、そんなに頻繁でもなく、また、子供や女性もいるので、私にはとっても心地よいものでした。
一緒に、見よう見まねのマントラとマネマネ(数珠などを回すこと)をしましたが、とっても清らかでした。

こうして、夜ご飯を用意して、給仕して、再びお祈りをして夜の10時半過ぎまでめいいっぱい続きました。なにせ、11時には電気がきれてしまう今日この頃ですので、みんな、その前に帰って行きました。途中、マントラのほかに歌のようなお祈りもしていましたし、また五体投地もしました。子供たちも一生懸命五体投地する姿がいとおしかったです。







12/30、やっと雪降ってます!

なんだか今年の冬はいまいち寒くないと思っていましたが、すっかり今日の天気は曇り曇り曇り。しかも、いかにも雪が降りそうでした。
今朝はストックで目覚めたのですが、レーの方面を見ると、すっかり霧に包まれているし、ストックカンギリの山頂周辺はもう雪が降っている様子。今日はいよいよ、ガッツリ雪が降りそうだなあと思ってワクワクしていたら、夕方になり、やっぱり降りました!
現在、現地時間9時半ですが、けっこう積もってきて、畑は真っ白です。もっと降れ~もっと降れ~と、久々の雪と本格的な雪に期待しております。

もちろん、ただ雪が降ってほしいだけではありません。ここラダックでは、暖冬ではダメなのです。というのも、冬がいかに寒いかが来年の夏を左右します。
というのは、たくさん雪が降れば降るほど夏になり、積もっていたその雪が融けて、川となって水が大地を潤すのです。もちろん、今年のように洪水が来ては困るのですが、いつものように雪が降るということは、来年の豊作につながるのです。


うれしくて、娘の花凛と一緒に大好きな「わらべ歌」を歌ってました。

雨こんこん 雪こんこん
おらえの前さ たんと降れ
お寺の前さ ちっと降れ


ラダックではありえない表現ですが、日本ではお寺や坊主という存在は、ちょっと面白おかしく表現され、それでもって愛嬌を持っているのですね。ラダックで歌詞を通訳するのは控えとこうかな~。
なんだか怒られそうなので~(笑)

明日は、積もった雪景色を紹介できたらと思います。
そういえば、日本は雪降ってるでしょうか?

2010年12月27日月曜日

ラダック民族衣装

11月に親戚の子どもの誕生をお祝いするドゥンというパーティーが開かれました。その時に着た衣装を紹介します。花凛といとこのお姉ちゃん、お友達のおにいちゃん。
また、私は日中はヒマーチャル・プラデシュ州のマナリーの民族衣装を借りてきました。夜はラダックのを着ました。それは次回のお楽しみに。



2010年12月24日金曜日

Christmas Eve snowfall.


Finally it snowed again in Leh,well it snowed in October then it went dormant and today it snowed again.Welcome home!!

2010年12月21日火曜日

冬支度② 燃料

 本格的な冬の間、 暖をとるために重要な燃料は自然資源に頼ります。
とはいえ、こんな標高の高い場所なので、木々が豊富に生い茂っているわけではなく、ここにあるものを大切に使います。そう、それは乾燥した牛糞などです。

実家のストックでは、夏の間も常に家畜の糞を集めて乾燥させておいていましたが、9月も下旬頃からは、収穫や加工も落ち着いて、食料の冬支度がひと段落したら、義母や義妹たちが暇を見ては家の周辺から山の方まで、糞集めに入ってたような気がします。まさに冬支度でした。
 私たちは、この苦労の結晶の、貴重な燃料を、今年は自ら集めた訳でもないのに、分けてもらっているのです。なんとありがたいことでしょう!しかも、親戚の分家のお母さんも一袋分けてくれました。

ちなみに、家畜の世話としては乳搾りも、牛追いもする私ですが、なぜか、義母は私にこの糞集めをしろとは言いませんでした。きっと初年から可哀想だと気を使ってくれてのことだったのでしょう。でも、今後のためにしっかり学ぶべきでした・・・。今は、見よう見まねで自宅周辺の糞を時々集めていますが、自分の牛もいないのに拾うのはなんか盗人みたいで、ちょっと気兼ねしてます。でも、せめてギブ&テイクになるように、日々、生ごみを放し飼いの牛たちにあげてます。

ではでは、レーの家で11月より設置して使っている薪ストーブ用の燃料を紹介します。
初めてラダックにきた時は、この糞を触ってから手を洗わない事に、ちょっと抵抗感があった私ですが、今や気にせずバキバキ割ったり掴んだりします。さらに、水も貴重なラダックですので、糞を触った手を洗ったりせずに、ご飯も食べれるまでに進化しちゃいました。郷に入れば郷に従えです。



この大きいのが牛糞。糞に水分が多くてか地面に落ちると、
べチャっとつぶれるので大きく広がった感じになる。
ものによっては手で割れないくらい硬くなったものもあり。何年物??
見れば、草木の繊維質ばかりでさぞかし健康的に見えたり。
この中は全部燃料の糞。これだけあれば、しばらく心配は要らない。
食料と同じレベルで蓄えに相当し、安心感がある。

こちらは調理用ガスのシリンダー。うちではガスストーブも今のところ
利用している為、そちらのストックでもあり現在2本ストックしている。
ラダックでは冬になると一家族?一ヶ月に一本しか買えなくなるとか。
何故かというと、雪で陸路が閉鎖されると、外部から物資が運べなくなり、
それまでにあるシリンダーしかなくなるので制限されるらしい。
ああ、寒さが厳しい上に、さらに環境がもっと厳し~い。

いったん仮で設置したおさがりの薪ストーブ。
現在、新しいのを加治屋さんに注文してあり待っている。
古くて錆があったり、薄い素材ではなかなか暖まらない。
でも、やっぱり火は暖かいし、水を沸かして蒸気がでるのはいいことだ。
もちろん、料理もできるので一石二鳥、三鳥。

ロバ、馬、子牛たちの糞。小さくコロコロしていて使い勝手もいいし、
よく燃えると言われています。実際、よく燃えてます。
ボトルの中はケロシン(灯油)。残念ながらこれをかけないとなかなか燃えません。

冬支度① 窓にシートを張る

レーの街で間借りしたおうち。外壁はこの通り加工の途中でラダックらしい白い壁ではないです。でも、私たちが借りている2階の部屋の内装はしっかりやってあり快適です。

レーでは、普通11月頃から家の窓に外からシートを張り、寒さに備えます。我が家はハシゴがないない言って出遅れました・・・。
ちなみに、この寒さ対策シートは、ストックではあまり目にしないのですが、私が思うに、ストックこそもっと寒いのでやったほうがいいはず。昨日、うちに遊びに来た義理の父にオススメしておきました。乗り気でしたよ。

ビニールを張ると、景色は少々にごりますが、見えないわけではないし、まぁ大丈夫。
それより何より、寒くないことが大切です。

2階なので、はしごがほしかったけど、なかった・・・。
ワンボが丸太で即席の足場を組んだ。本当に大丈夫か~??

さながらクライミングでした。一応下で私が足場を支えながらも、
時々は写真撮影。落ちるなよ~!


こんな透明のビニールを張りました。


2010年12月18日土曜日

正直、怖かったモハラム

ラダックはレーの街のメインバザールには、チベット仏教のゴンパのほかに、イスラム教のモスクがふたつあります。ひとつはスンニ派、もうひとつはシーア派とのこと。ここラダックは、仏教文化で知られる場所ではありますが、ラダッキーイスラム教徒も多数います。いまや人口比率で言えば、仏教徒を上回ったとも言われています。もっとも、ラダック地方の中でもレー郡ではなく、カルギり郡にはイスラム教徒が多いのです。

そんな背景があるラダックですが、つい先日の15日、イスラム教シーア派の有名な行事がありました。モハラムです。どんなものかというと、以下ちょっと引用いたします。

 (以下引用) 
「シーア派の特徴は、イスラム世界の異邦人という意識に彩られているようです。そんなシーア派を象徴するモハラム(イスラム暦の1月)の行事を紹介しましょう。

暗殺されたアリーには二人の息子がいました。後継者になった長男のハサンは暗殺されます。一族の再起を願う弟ホセインは、わずかな軍を率いて、680年 10月10日、ウマイヤ朝第二代カリフ、ヤズイードの大軍とカルバラで戦って全滅します。

これが「カルバラの悲劇」と呼ばれ、ホセインの無念を思って身体を傷つけ、悲しみの叫び声を上げながら行列が街中を練り歩く、シーア派最大の年中行事として今も続いています。彼に異邦人シーア派の姿をだぶらせているのでしょう。」



というわけで、仏教に彩られていた日常のラダックが、一気にイスラム一色となったその行事は、なんとも見た目には恐ろしくもあり、あまり精通していないで見ると、ちょっとドン引きしてしまうかもしれませんが、どんな様子かお伝えしようと思います。

ちなみに、私は以前、カルカッタに住むイスラム教徒のお友達に、このモハラムに連れて行ってもらい、見学したことがありました。人口も多いカルカッタのそれは規模も大規模で驚きました。それも、人生で初めて見るものとしては、ちょっと恐ろしいもので、刀のような長い剣で自らの体を切りつけたりするのですが、音楽にあわせたりしてパフォーマンス的な要素も多く?感じたのですが、ラダックのそれは何か、規模こそカルカッタとは違いますが、その血の流れようが違ったのでした・・・。





長い長い行列の一部。喪に服すという意味もあるので黒い服が多い。
音楽にあわせて体を切りつけたり叩いたりする。
もちろん、一緒に合唱しておりすごい興奮状態。
大量の血を流してトランス状態にちかい
人々が救助され,次々に目の前を運ばれていく。

中央の人が特に流血しているのがわかる。
ここで見ていたら、次々に顔を真っ赤に染めた人が,
目の前を救助されていくので恐ろしくなり帰ることにした・・・。

行列の最後。みんなが流血を拭いたティッシュや布を掃除する部隊がちゃんといる。
野良犬が血のにおいに引き付けられている。車は救急車。

最終的に、給水車が出動し、血で汚れた道路を水で清掃する部隊がいる。なるほど。

2010年12月15日水曜日

Call of the Pangong lake Ladakh ,Oct 2010.

   
Pangong Tso 4,267m  .The magical touch of the lake  could cast a spell
on you just as it did on me to jump into it.

"A quick dip " Zzzzzz... in the highest brackish lake in Asia
It was not the right time but couldn't face the magnetic  force of the blue lake.

 My wife me and Riho
Beautiful lake!!!
                                           
                                                                 Post by WANGBO

2010年12月13日月曜日

ロサル(ラダックのお正月)12/6

ロサルのセレモニー。
家族や近所のコミュニティー、親戚などなど、行き来し集まっては共に食べ、飲み、祝福する。
今年は夏に洪水があって、多くの人々が亡くなった為、例年より自粛しているとのこと。
年々、ラダックでは文化の変容もすさまじい速さで進んでいるけど、失わずに存在する文化をかみ締めた。いいものは残っていってほしいなと、単純に思う。


各コミュニティーのゴンパはちょっと小高い丘の上にある

ゴンパの中。叔父がランプやラダックのお香を炊いてセレモニー。



ラトという精霊を祭ったものにもランプとお香、
そしてチャンというラダックの麦の濁酒を捧げた。
 


ロサルでは牛やゾたちも角にオイル、こめかみにバターを
塗ってもらい祝福をうけている。そのため角がピカピカ光っている。
 

ロサルでは隣近所5,6家族のコミュニティー同士で宴会をして盛り上がる。
男性がそろってゾロゾロと移動しては、お互いの家をはしごする。
これを、2,3日かけて全部の家にまわる。楽しいひととき。


2010年12月10日金曜日

ストックにてのんびり過ごす

どこまで~も青い空。
山はハゲ山だし、緑はまるでない冬だけど、この空の青さがタマラナイ。
ストックに帰るとやはり家の仕事を手伝う。中でも牛たちを連れて歩くのがとっても気持ちいい。

家から少し離れた草の残る畑に連れて行くところ


牛、ベツォ(子牛)、ゾ(ヤクと牛のハイブリット)、ズビ(ゾの子ども)などなど

場所により川の水もすっかり凍った

11月の下旬、ほとんど落ちきった落ち葉を集める作業。
家畜の暖をとるために小屋に敷いてやったりするため。
もちろん、家畜の餌にもなる。

アビレー(おばあちゃん)と一緒に袋に入れるワンボ

大きな袋に入れきって持ち上げてみたら、
アビレーが笑いながら「アリみたいた形になっちゃった~」と苦笑。

ニコニコ顔で歩くかりん。うれしそうに手に持っているのは川で拾った氷。
従兄弟のお姉ちゃんを村の学校に迎えに行った帰り道で。

2010年12月9日木曜日

ジ・ツォンカパの誕生日 12/4

12月4日 ジ・ツォンカパの誕生日 (ガルダン ナムチョット)

チベット仏教のゲルク派の改組、ジ・ツォンカパの誕生日を祝い灯明でセレモニー。
ランプを灯すのは人々の闇(無知)に救いの明かりを求めて現実を直視するためだとか。


油を入れたこんな小さなランプをたくさん灯し家の外に並べた



おじいちゃんが代表して儀式をしていた。
持っているのはヒノキと思われる葉(現地語でシュクパ)
水、大麦の濁酒、バター茶、大麦の炒り粉、肉、蒸パン、
パン、バターなどの重要な食物にお祈りをした。

大麦粉で動物の形を作りフライしたお供え物。


先ほどおじいちゃんがお祈りしてくれたパンや肉など、
を家族みんなに配り分けてそれを頂く。

今年2010年のお正月(ロサル)は12月6日。その前の4日がこのセレモニーだった。
私たちは、4日にはストックに必ず帰ってくるよう言われていた。
こうしてラダックでは、日本のお正月のようにこの日を家族で過ごすのでした。

2010年11月21日日曜日

ラダックはすっかり冬のよそおいです


レーより雪をかぶったストック山脈を望む。
手前の畑は冬支度として、これから耕してやわらかくしてから冬を越します。



8月以降、ブログを更新していなく失礼しました。
なんだかんだ忙しくもありましたが、9月から10月は洪水支援活動や農作業に追われたり、コンピューターを修理に出したり、ネット環境が整わなかったりで全くブログに手をつけられませんでした。
それより何より、いろいろあって、ストックの街からレーの街の郊外に部屋を借りて住むことにしたので、引越しやら何やらでバタバタしてました。これから到来する真冬の厳しさに備えてということや、Wangboの就職活動やらで、街へのアクセスがよいことが必須でもあり、色々考えまして家族3人で暮らし始めました!
ストックはとても恋しく、新しい家からも真向かいになるストックの村や、何よりストック山脈を恋焦がれるように眺めている日々です。が、やはり私も日本人。ラダックでの大家族生活に自信を持って挑んだ訳だったのですが、時には和食が食べたくもなったり、インドのチャイやラダックのバター茶が食傷ぎみになったりすると、ヘルシーなストレートティーが飲みたくもなるわけで、また、材料は持ってきてはいるが、切干大根やひじきの煮物くらいならと、作りたくてもこちらの家族は誰も食べないわけで・・・、こんな小さな欲求でも溜まればそれなりに大きくなり・・・、意外と知らぬ間にストレスとなっていたのでした。


今、そういった面ではとてもすっきりとしていて、毎日の料理や食事が楽しく、冷たい水での手洗い洗濯にも精を出し、水道はないので2階の部屋まで重い水を運んだりと、ラダック独特の営みにも日々がんばって挑んでいます。しかし、レーに自分の畑があるわけでもないし、所有する牛やロバがいるわけではないので、私もkarinも、そういった意味では物足りないことも・・・。もっとも、もう冬なので畑仕事もないのですが、乳絞りなどの家畜の世話は楽しい日課だったので残念でもあります。全てが手に入るってことはないのですね。そこは、ちょくちょくストックに帰っているのでどうにか補っていきま~す。

間借りした新しいおうちから歩いてレーのバザールまで。
郊外なので、歩くと25分くらいはかかります。Karinがいると寄り道が多くてもっとかかることも。写真ではオラウータンのぬいぐるみをもってトコトコ歩いてます。

2010年8月28日土曜日

ラダック洪水被害レポート5 フィールドワーク in イグー村&スタクモ村

2010年8月28日 (土)
28th August: Survey at the flood affected areas Stakmo, Nang and Igoo.

Surveyed by:
01. Vivek----IFBYL president
02. Gen Pannya Teja-----Honorable president..
03. Sushil -----IFBYL member
04. Daya-----IFBYL member.

●イグ村
洪水被害としては死者こそ出なかったが、畑が流されるなどの被害は発生している。それでも、支援は十分に受けれているので物資などは不要だと言っていた。ただ、畑が被害を受けたので牛などの家畜の餌になる飼料(ラダックでは家畜用の牧草;アルファルファ)がなくて困ったいた。可能ならばそのがほしいとの希望があった。そこで私たちは、我らストック村から家畜用飼料売ることのできる人を探したところ、まだ刈り取っていない畑が複数あると親戚らが応えてくれた。それらを買い取って支援することにした。私たちは可能な限りボランティアで自分たち自身で刈り取りに取り掛かることにした。

●スタクモ村
特に被害は大きくないということがわかり、物資の緊急支援などは必要ないことがわかった。

2010年8月24日火曜日

『DANAサービス』for SNMホスピタル& チベッタン老人ホーム inレー&チョグラムサル

2010年8月24日 (火)
24th August: Dana service at new SNM hospital Leh and at Tibetan old aged home Choglamsar.
『DANAサービス』for SNMホスピタル& チベッタン老人ホーム inレー&チョグラムサル
(フルーツやジュース、ビスケットなどをギフトBOXにして入院患者にプレゼント)

Around 25 members of IFBYL attended this service and distributed fruits and juice to the patients.There were also many non IFBYL members who took part in this service.

およそ25人のIFBYLメンバーとメンバーではない外国人ツーリストなどの有志参加により、国営の病院SNM病院の患者にギフトBOXを100セット用意してプレゼントし、患者を励ました。
この病院は近年新しい病棟を隣の敷地に建設していた。洪水の前に新しい病棟や他の病院に重症患者を転院させていたが、重症ではない患者は洪水発生当時も、古い方の病棟に入院中であった。入院患者のうち子どもが数人亡くなったとの情報もあり、また、患者以外にも水と土砂が襲いかかってきた当時、水の進む先に逃げていってしまった人を瞬く間に飲み込んでいったという。実際、私の夫のまだ若い叔母は、一週間ほど前に初めての子どもをこの病院で出産し、村の風習で自宅に帰らず、この病院周辺で部屋を間借りして産後を送っていた。そこにこの洪水が襲い掛かってきたが、たまたま水の流れが彼女の部屋の建物を残して行った為に助かった。また彼女の夫は周辺にいて水の量や流れに異変を感じ、たまたま逃げた方向がよかったため、難を逃れたと言っていた。病院周辺など、場所別でのはっきりした被害者数などは報道されていないが、多くの命をこの病院周辺でも奪っていった。すぐ上のバススタンド周辺の建物も、ひどく崩壊している。
いまだに土砂まみれの病院には、日々現地ボランティアや外国人ツーリストのボランティアが手作業で土砂の撤去作業を手伝っている。また、建物内に入れるくらいの小さなショベルカーも出動し、院内の土砂撤去にあたっている。
今回は洪水被災者のみならず、入院している全患者にDANAサービスを提供した。一人ひとりにギフトを手渡しながら励ましの言葉を送った。中にはPTSDにより、風が吹いたり雨が降ると恐怖を覚えて逃げようとしたり、精神的にトラウマを抱えた人もいた。心理的なケア、カウンセリングもやはり重要だ。

その後、直接の被害は受けなかったが、チョグラムサルにあるチベッタン亡命者の老人ホームにもDANAサービスをしに行った。正直、身を寄せている老人たちは経済的には貧しくもある人たちで、施設の衛星状況などもさほど良いとはいえないものだったが、老人たちはくつろいで各々の生活を営んでいる感じが伝わってきた。

2010年8月22日日曜日

第一回緊急支援・寝具セット for アチーナタン村、スクルブチャン、ドムカール、ドムカールバルマ村

2010822日 ()

第一回緊急支援・寝具セット for アチーナタン村、スクルブチャン、ドムカール、ドムカールバルマ村

22nd August: First phase visit to Achinathang, Skurbuchan and Domkhar and distribution of bedding set and cash to flood victims.

17 members of IFBYL visited these flood affected areas.

Flood relief given at the followings places:

*Achinathang: 10 families ( bedding set and cash to all families)

*Skurbuchan: 32 families (bedding set to all and cash to 21 families)

*Domkhar: 4 families ( bedding set to all but no cash)

*Domkhar Barma: 3 families.(bedding set to all but no cash)

    ・Relief includes : Bedding set and cash of rupees 2000.

    ・Bedding includes: 1mattress, 1quilt, 1blanket and 1pillow.

●アチーナタン村

今回はIFBYLメンバー17人が出動し、支援物資を届けにいった。

集中豪雨により洪水が起き、やはり家屋や畑が流された。幸いにも村全体で死者はなし。村に着く少し前に被災者テントがあった。親戚同士の2家族が被災生活を送っていた。

屋号;ベタンパ (7人家族、うち子ども一人はジャンムーで就学中で被害に合わなかった)

家屋は全崩壊していてすめない状態。以前建設されたインド国営の電話会社BSNLの電波用のタワーがあったせいで水の流れが変わり、今回の被害に合ったと訴えていた。できれば、このタワーを移設してほしいとも言っていた。支援のために来てくれてとてもうれしいと涙ぐみながら語っていた。精神的にもやはり参っているだろうし、とても繊細な状態になっているのだろう。

村のコミュニケーションホールに被災者を集めてくれた。チャイやビスケットなどでもてなしてくれた。IFBYLの代表やシニアによりメンタルケアの為のスピーチをして被災者を励ました。こういう被害にあうと、時々ヒンドゥー教やキリスト教などの宣教師が来ては就学の援助をするといってきたりすると思うが、ちょっと気をつけてよく聞いてほしいと訴えた。少なくとも、私たちは遠方にはなるがバンガロールとアルナーチャル州にある寄宿学校へ入る為のスポンサーシップの援助ができることを伝えた。どちらも仏教を基本とした学校である。学費や交通費の負担をすべてフォローできることなどを説明した。元々経済状況のよくない家族が、家の建て直しや生活の再建をするにあたり、子どもの教育費を捻出するのが難しくなることを見込み、そういったニーズからまずはフォローすべく指針を説明した。

また、ほかのNGOらが来て、5,6家族にガス台や靴などを支援してくれたこと、またあるグループは不足しているランタンを支援してくれると話してくれた。

●スクルブチャン村

村全体で死者はなし。32家族が被災した。畑はかなり流されており、行った時もまさに道の復旧のためにショベルカーなどが作業しているところだった。村の中に被災者のテントを張って生活していた。軍隊からの支給のテントと、自分の持ち物のテントもあった。

被災した32家族に寝具セットを支援。また。そのうち被害状況が大きい家族、また経済的にゆとりのない家族に2000ルピーの現金支援もした。

●ドムカール村

被災した4家族に寝具セットを支援、現金支援はなし。

●ドムカールバルマ村

被災した3家族に寝具セットを支援、現金支援はなし。

2010年8月21日土曜日

第二回ミーティング 緊急支援物資を届けるための詳細を決定

2010821 日 ()

21st August: Second meeting regarding the flood relief tour to Achinathang, Skurbuchan and Domkhar.

第二回ミーティング 緊急支援物資を届けるための詳細を決定

アチーナタン、スクルブチャン、ドムカールを今回のターゲットとして予定した。

ひとまず寝具セット(敷布団、掛け布団、毛布、枕)を50セットと、被害の状況がひどい場合は現金2000ルピーから5000ルピーの間で状況に合わせて支援することに決定。

2010年8月15日日曜日

ラダック洪水被害レポート4 in シェイ村 被災者キャンプ

         他のグループからの支援食料

         家屋が全崩壊した男性。状況を聞いているメンバー 。

         主要道路にも大量の土砂が埋め尽くしている

         以下は、洪水発生から三日後の様子

         

         三日後はまだかなり水が流れてきている



8/15 フィールドワーク in レー近郊 シェイ村 被災者キャンプ

シェイにあるドゥルク・パドマ・カルポと言う学校があるのだが、ここはインド映画俳優のアミールカーンが以前映画の撮影をしたため、ある種観光地化していて有名だった。そこにこの洪水が起きてしまい学校も被害にあった。アミール・カーンは復興のために資金を出すと宣言し、実際に洪水後、視察にも訪れたという。その校舎も床上浸水というか半分くらいは土砂が入り込んでしまった。校門も半分くらいうまった状態だ。(上の写真)

日も暮れ始めた夜7時。やはり川があったところをはじめ、それ以外の場所にも水と土砂が押し寄せてきて、トータルで30軒の家が被害にあい、家の中まで大量の土砂が入ってきた。そのうち3軒は完全に家も畑も流されてしまい、被災者用キャンプにて生活していた。キャンプ地は家があった場所よりもかなり奥の山のふもとにも置けられており、再び雨が降っても水が襲い掛かってこないような場所が選ばれている。とはいえ、利便性から言えば便利とは言えず、車での移動が必須となる。

《インタビュー》

●家屋が完全に崩壊した3家族のうちの一家族 屋号;シャンクー 父;ソーナム・アンチュック
洪水時はどうにか逃げて助かったとのこと。6人家族に死者こそなかったが、完全に家と畑が流された。建材に使ったりするポプラなどの樹木を育てていたが、そんな小さな命もすべて流されてしまった。家畜の牛は与える餌となる雑草類もすべて土砂の下になってしまった為、親戚にあげてしまった。あげてしまったのかと尋ねると、初冬の頃になれば与える草もなくなるので、その頃には戻されるだろうとのこと。9月にもなれば寒さも増してくるので、キャンプ生活は厳しくなるだろう。完全に崩壊した家の代わりにせめて2部屋でいいから家を建て冬に備えたい。政府も住居再建の援助をすると発表しているが、冬がくるまでに得るのは難しいだろう。そこをどうしたらいいのか途方にくれている。
NGOの支援で住居の支援ができるか早急に検討しなければならない。小さな家でも建設には最低でも一ヶ月はかかる。本当にアバウトではあるが、二部屋の家の予算は20万ルピー(40万円)ほどにもなる。また、あまり家屋に被害がなくても再び洪水になるのを恐れてキャンプに身を寄せている人々がいて、その人たちも支援を受けているという現状があるとのこと。非常に難しい問題だが、やはり支援を本当に得なければならない人に支援をする際の判断や調査が重要だと再確認した。

●家屋に土砂が押し寄せてきた家族の父
キャンプでは3家族にひとつのテントと非常に手狭だ。LBA(ラダック仏教協会)が緊急支援食料を持ってきたが、ビスケットやインスタントラーメンといった種のもので、量も30人分だというがそれにしては少ない。これには不満を覚えているとのこと。だんだんエキサイトしてきたこの男性は、少し声を荒げてさらに続けた。野菜も持ってはきたが、鮮度も悪く食べられない。にもかかわらず、LBAはこんな形で支援していると連れてきた人に見せたりもしているという。政府からの配給制度である程度の食料はもらえるから、金銭的な支援が一番ありがたいと思っているとのこと。現金があれば大量の土砂を除去するのに人がやとえるとのこと。また、シェーの村で被害にあった30軒の家が均等に支援を受けるべきだと主張していた。事実、完全崩壊した3軒以外でも時間が経つにつれ土でできているラダックの家屋は水が浸透して徐々に壊れかけているとのこと。非常に難しい部分ではあるが、家屋の状態を見極め、更に被害状況に優先順位もつけなければ、NGOからの弱小支援は正しく使いきれないだろう。私たちも彼を説得し、気持ちは分かるが、状況を見極めて優先順位はつけざるを得ないことを伝えた。このような状況は少なからずどこでも起きていて、被災者同士の関係性が悪くなっているケースもあるようだ。